モッチーブログhttps://fragments-t.comFri, 23 Oct 2026 15:35:53 +0000jahourly1https://fragments-t.com/wp-content/uploads/2023/08/cropped-blog-icon-32x32.pngモッチーブログhttps://fragments-t.com3232 イラスト練習記録(2)オリジナル作品に感じる意味の欠如https://fragments-t.com/2026/10/illust_practice_2.htmlFri, 23 Oct 2026 15:35:53 +0000https://fragments-t.com/?p=14672

みんな大好きToLoveるダークネスの模写。これは我ながら上手くいった方。そもそも題材となるイラストが素晴らしいし、前から模写はしているので、まあまあの形にはなる。

前回の投稿からも、模写をしたり基礎練をしたり、色々やっています。絵に対するパッションはあります。しかし、その一方で、上手い下手以前の根本的な問題が浮かび上がってきました。今回はそれについて。

前回:イラスト練習記録(1)

今回の要点
・練習はしている。模写は模写で面白いが、オリジナル作品も描きたい
・しかし、自分が描いたオリジナル作品には「意味」が完全に欠落している
・しかも意味のある絵を自分で思いつけない→先がない
・二次創作には全く興味がない
・どうしよう

描く対象がない

まず大前提として、模写は模写でやっていてシンプルに面白いです。これは間違いありません。好きな漫画のイラストというのはそもそも上手に描かれているわけで、あとはそれを模写という形で写せば、良い感じのイラストになります。すると達成感もあって、それ自体が楽しい体験となります。堅苦しい練習の息抜きとしても便利です。

とはいえ僕は模写だけではなく自分のオリジナル作品も描きたいわけで、以前から習作を描いてはいました。最近も色々な理由から完成形にはならないものの、描こうとはしています。

前回から薄々感じてはいたのですが、僕にはイラストをやる上で致命的な問題があるように思います。それはざっくり言えば、描きたい対象がないということです。理由は、今の自分の作品には記号以上の意味が感じられないから。

ものすごく分かりやすい対比の例を挙げると、僕は二次創作が出来ません。そこは多くのイラストを趣味とする人々と違うところだと思います。例えば、初音ミクや東方が好きで、その二次創作としてイラストを描くことを楽しんでいる人を多く見つけることができます。しかし困ったことに、僕には「既存の作品のキャラクターを自分なりの形で描く」ということに興味がありません。色々と模写はしても、そのキャラクターを題材として、自分の作品を描こうとは思わないのです。よって僕は絵のパッション自体は今のところあるものの、二次創作という強力なモチベーションを利用することができません。

二次創作ができないので、自分のオリジナル作品を描く。まだ習作の段階だとしても、1枚目を描いた段階ですでに「これ何の意味があるんだ?」と自分で思ってしまいました。

例えば、これは2枚目の習作として描いた作品↓

足の形がおかしいとか、もっと顔を可愛く描きたいとか、凝った衣装にしたいといった無数の問題点はもちろんあります。しかしそれらを完全にかき消すレベルの根本的な問題が存在します。それは「意味がない」ということです。

彼女は一体誰なのか、ここはどこなのか、なぜ笑っているのか、誰を見ているのか。そういった設定や世界観が完全に欠落しているため、一見人物画であるように見えて、実はただのデフォルメ美少女キャラという記号なのです。もちろんこれはただの習作なんだから意味なんてなくてもいいじゃんといえばそう。でも自分ではそれが根本的な違和感に思えて、これはかなりまずいなと思いました。

最初に掲載したような漫画の模写なら、ちゃんとした意味があります。原作があって、キャラの名前があって、場所があって、といった具合に。だからこそ模写は楽しいのかもしれません。意味があるから。

二次創作であれば、自分でイラストという形を取る前から既に意味が存在しています。少なくともキャラクターのアイデンティティや世界観がもとからあるからです。隣の芝かもしれませんが、それを燃料にすれば創作活動の原動力になるんじゃないかなと思っています。

しかし僕が当初やろうと思っていたイラストには意味がない。ここが問題です。

そういう事を考えていたら、以前書いたカラマーゾフの読書メモを思い出しました。

【関連】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟読書メモ①)

要は人間はストーリーや意味がないことに耐えられないということ。例えば、「自分の人生には何の意味もない」と思っちゃったら、生きること自体に耐えられなくなるみたいな。

今回の投稿で考えているのはそれのイラスト版。意味がないことに耐えられないなら、意味がないイラストを描く気も起きないのは当然と言えます。

絵のパッション自体はある

とはいえ、「絵を描きたい」「上手くなりたい」という気持ちは依然としてあります(逆にそういう気持ちを保てているのが自分でも不思議ではあるのですが)。実際、毎日かなりの熱中度で何かしらの絵を描いています。練習っぽいことも自分なりにしています。しかしその出口だけがないのが現状。

練習や模写があるだけで、どうしてもオリジナル作品に結びつきません。一応かなりの時間をかけてオリジナルも描いてはみているのですが画力不足なども相まって「これはだめだ」となってしまいます。

正直この根本的な問題の打開策は、まだ見つかっていません。少なくとも、二次創作ができないのは99.99999%確定。自分はその方向で考えても駄目だと思う。そもそも自分はイラストに向いていないのか…。

弱い仮説ですが、まず「カメラ目線の絵」をやめるべきかもしれません。「そもそもこれどういう状況?」「なんでピースしてるの?」と思っちゃうのが違和感の一部だと思います。なのでまだアイデアの段階ですが、鑑賞者とは全く関係なく、対象自身の都合みたいなものを中心として考えるべきなのかも。

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『ソッカの美術解剖学ノート』感想 – 高いけど値段の価値ありhttps://fragments-t.com/2026/10/sokka_review.htmlSat, 17 Oct 2026 00:44:51 +0000https://fragments-t.com/?p=14664

要点 ・『ソッカの美術解剖学ノート』の感想 ・定価7000円は高かったが、600ページもあり、内容的にもその価値はあった ・内容は固すぎず、日常の感覚で読み進められるのがよかった ・これまでフィーリングで描いていた部分が ... ]]>

要点
・『ソッカの美術解剖学ノート』の感想
・定価7000円は高かったが、600ページもあり、内容的にもその価値はあった
・内容は固すぎず、日常の感覚で読み進められるのがよかった
・これまでフィーリングで描いていた部分が改善された
・買ってよかった

 

デジタルイラスト練習のために『ソッカの美術解剖学ノート』(以下、ソッカ)を購入しました。それから通しで一読した後、創作の際に見直したい箇所を適宜参照する形で利用しています。

現在の僕の技量ではこの感想文には何の説得力もないとは思いますが、個人的におすすめの書物なのでレビューします。主に、個人的に具体的にどのように役立ったかについてのレビューとなります。

購入までの経緯

ソッカを買う前の段階では、僕はデジタルイラストで人物画を上手く描けるようになりたいと思っていました。

僕は以前から特定分野の模写をしていたこともあってか、幾何学的な形であればオリジナルでもそれなりに描くことが出来たように思います。一方で、人の体という(一見すると幾何学的には見えない)曖昧な形をしたものは全く描けませんでした。見様見真似で描いてみても全く満足のいくものは出来ず、なまじ人体であるだけに気味の悪ささえも感じていました。

しかし自分が描きたいのは人物像そのものなので、このままでは埒が明かないと判断。どのように役立つかはその時点では分からなかったものの、評価の高いソッカをとりあえず読んで、役立つことはないかと思いました。

以前、A・ルーミスの「やさしい人物画」も模写していたのですが、正直今思うと脳死模写をしていただけで、画力の向上にはあまり寄与していませんでした。僕が使いこなせなかっただけなのですが。

正直定価7000円はめちゃくちゃ高いなとは思ったのですが、その分必要な情報が網羅されていると思えば投資として悪くないと思いました。また結果論にはなりますが、実際に確実に役に立ちました。

一般人でも読みやすく書かれている

ソッカを一通り読んだ段階で感じたメリットとしては、内容が充実しているだけでなく、一般人視点の読みやすさが重視されていた点です。

この本と同じ情報を得ようと思えば、他の本でも得られたとは思います。大学で扱うレベルのガチガチの専門書とか。しかし僕のような初心者にとって、いきなり硬派な本で学んでいくのはかなり厳しかったと予想します。それでインプットが苦痛に感じて諦めてしまったら本末転倒です。

その点、ソッカは日常的な感覚・雰囲気から、無理なく美術解剖学を学んでいけるように配慮されていると強く感じました。この本には、核となる情報以外にも挿絵などが数多く挟まっているため、その分だけページ数が増えています。しかしそういった緩急や息抜き的なコンテンツがあるからこそ、疲れすぎず読むことが出来たと思います。

別にイラストでお金を稼ぎたいわけではない趣味の一般人でも気軽に読んでいける内容だと思います。また、大人だけでなく中学生くらいでも人物画に興味さえあれば「難しくて読めない」とはならないはず。そもそも僕はソッカを買うまで、美術解剖学というものがどういった内容なのかすら知りませんでした。それくらいのノリで手にとっても問題ない書物だと思います。

また、美術解剖学的な正解を示すだけでなく、生物の進化の歴史の観点から「何のためにそういう形になっているか」「どういう経緯でそういう形に進化したのか」も丁寧に説明されています。ストーリーがあるで理解しやすいです。つまり「これを覚えてください」といった淡白な情報提供をするのではなく、ここでもやはり日常の感覚や知識と美術解剖学との橋渡しを行うような構成になっていたといえます。

それでいて浅い情報に留まるのではなく、イラストを描くために必要な人体の構造についてはしっかりと網羅されてるように思いました。

個人的に役立った点

では、この本が僕にとって具体的にどのように役に立ったのか。端的に言えば、「いい感じ線がたまたま引けるかの運ゲー」をする箇所が劇的に減りました。これが一番です。

前述のとおり、僕が抱えていたのは「人の体が描けない」という根本的かつ致命的な問題でした。しかし今から思うとそれは全く無理もないことでした。なぜなら、人体の構造についての知識がなかったから。たとえ普段目にしているはずのものでも、よく知らないものを想像だけで描くことは出来ません。今思うと当たり前の話でした。

ソッカには、「人の体はこうなっていますよ」という情報が網羅されています。それを無理のない形で読んで情報をインプットすることで、僕の画力というか創作物の質は確実に良くなりました。もとがひどすぎたからでもあるのですが、この本を読んだ前後で変わった点は確実にありました。

以前の僕は人体の知識がなかったため、人の体を描くときは何かを脳死で模写するか、あるいは想像で描くことしかできませんでした。その結果は極めてお粗末であり、人を描くのが嫌になる→人を描くことから逃げる→上手くならないという完全なる負のループが生まれかけていたといっても過言ではありません。

その段階で特に嫌だったのは、「フィーリング」や「運」といった点でした。知識がないので勘に頼るしかない。それはただのフィーリング。運良く良い感じの線が引けるまでCtrl+Zを繰り返す。しかしそんなことをしてもいつまでも良い線は引けない。そういったフィーリングによるイラストに嫌気が差していました。

そうして僕は、人体の構造というのは何となくで正確に描けるほど単純には作られていないのだと悟りました。

もちろん今もまだ練習中ではありますが、今では「なぜそこが膨らんでいるのか」「なぜここは角張っているのか」といった問いに答える知識があります。それゆえ、以前よりも描くことが楽しく、説得力のあるマシな線を引けるようになったと思います。少なくとも完全な運ゲーから解放されたのが個人的には一番の効用でした。

もう少し細かいことを書くと、別に本の中で紹介されている全ての筋肉、骨、腱の名前や形を覚える必要はありません。僕の理解では、人体には「絶対に外せないランドマーク」があると思います。ソッカを読んでそのランドマークの知識を仕入れるだけで、全く知らない場合よりもずっとマシなものを描くことが出来ると思います。

ふりがながほしい

本の内容については概ね満足しています。しかし唯一気になったのは、本文中にふりがながほとんどないことです。流石に日常のボキャブラリーだけだと初見で読めない骨や筋肉の名前が多く、苦労しました。

一応最初の方に読み方一覧表が掲載されているので、そこを参照すれば読み方を確認することができます。しかしそれもけっこう手間であり、通読のリズムを乱していました。

もし本文中にふりがながしっかりふってあったとしたら、そういった確認の手間を全て省くことができたでしょう。編集の手間はかかるかもしれませんが、本としての価値はより一層上がったと思います。

どんな人におすすめか

僕レベルの人間がこういった本を他人に勧めてもやはり説得力はないでしょうが一応。

正直、この本は全く知識がないド素人レベルの人にこそおすすめしたい内容だと言えます。

しかし、ここがちょっと厄介なポイントだと感じます。というのも、この本の定価は7000円を超えており、初心者が気軽に手に取れるレベルの代物ではありません。「もっと安い本で学びたい」という気持ちは痛いほど理解できます。

しかし、初心者こそこういった「読みやすさを重視している本」を手に取るべきだと僕は思います。読みやすい→挫折しない→少しずつ知識がついていく→それを自分の創作物に還元していく、という流れが着実に出来るからです。それでいて、最後まで読み切れば美術解剖学のざっくりとした全体像は見えてくるし、詳しく知りたい部分は個別に参照することも出来ます。

最初から最後まで内容を詳しくまとめたり、模写する必要はないと思います。この本に限らず、脳死模写は意味がないと思います。個人的に勧めたい活用法としては、まず通読して全体像を確認する。その後、人体の重要なランドマークや自分の課題を解決する内容を振り返って、ノートなどにメモを取ったりすると効率がいいと思います。

これは個人的な意見ですが、「系統だった知識を仕入れずフィーリングだけで描いていたら、上手くなるのに何千時間もかかる」と思います。物心ついたときから描き続けているイラストネイティブならそういったやり方でもいいでしょう。しかし僕のように大人になってからイラストを勉強したい人間にとっては、そういった感覚ベースのやり方は再現性がありません。

おそらく人体の構造についての知識がない初心者は、フィーリングで描いていると思います。しかし、人間の体はフィーリングだけですぐに正確に描けるほど単純に作られているとは、僕には思えません。

英語学習で例えると分かりやすいです。ネイティブの英語話者は、生まれてからずっと英語の環境で育ったことで、何万、何十万時間もの経験によって英語を習得します。しかし日本人の大人はそれと同じ方法で英語を学ぶことは出来ません。日本人が大人になってから英語をネイティブのように学ぶのは(実生活との兼ね合い上)無理です。物理的に再現性がありません。

なので単語、文法といったルールを理論的に学び、経験ベースの学習に要する膨大な時間を短縮するというのが正攻法となります。イラストもそれと同じで、フィーリングだけではいつまで経っても描けるようにはならない、というのが僕の意見。よほどの天才でもない限り、大人になってから「なんとなく」で描くのは無理だと思います。(そして天才はおそらくこの記事にたどり着かない)

だったら正攻法で正しい知識をつけて、運ゲーみたいな当てずっぽうのイラストから卒業するのが賢いやり方だと僕は思います。

そういうわけで、「ソッカの美術解剖学ノート」は人物画に取り組む際の1冊目としておすすめします。僕は買ってよかったです。

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『邪馬台幻想記』2026年に読んだ感想https://fragments-t.com/2026/10/yamatai_review.htmlTue, 13 Oct 2026 06:57:32 +0000https://fragments-t.com/?p=14659矢吹健太朗先生のデビュー作『邪馬台幻想記』を2026年に読みました。今回はその感想になります。

「この頃から既に絵が綺麗で、魅力がある」「もっと続きが読みたかった」というのが率直な感想です。僕が買ったのはKindleの電子版だったのですが、まだまだ盛り上がりそうな内容のまま、16話で終了となりました。

本作が連載されたのは1999年。この記事を書いているのが2026年なので、もう27年前!ずいぶん昔の作品ではありますが、個人的には今でも面白く読めました。

ところで本作を読もうと思った経緯としては、矢吹先生が今のレベルに至るまでのルーツを探ってみようと思ったのがきっかけでした。矢吹先生が描く絵柄は本当にキレイで、まさに芸術の域に達していると言っても過言ではありません。前々からそう思っていて、今回はその原点とも言える作品をあたってみることにしました。


邪馬台幻想記のページを最初から繰っていくと、まず印象深かったのはやはり何とも言えない絵のキレイさです。僕ごときの人間が他人の絵を評論できる立場にはないのは分かっていますが、あくまでポジティブな意見なので書かせてください。

確かに、純粋な絵の上手さでいえばその後の作品の方が上手いです。作品を重ねるごとにどんどん上手くなっているのは間違いありません。ToLOVEるとダークネスの1話目を比べても明らかに上手くなっています。それこそ僕が買った電子書籍版にはその後描き下ろしたと見られる邪馬台のキャラクターの新イラストも掲載されていたのですが、明らかにレベルが違いました。

しかしその一方で、邪馬台のときから既に、彼の絵にしかない魅力があったように思います。

矢吹先生というと美少女キャラクターの印象が強いですが、その点、邪馬台の壱与の表情や造形がもう既に「キレイだな~」と思わせる何かがありました。この頃から女性を描くのが上手かったのですね。

また、主人公である紫苑含めクール系男性キャラも、女性キャラとはまた違ったキレイな魅力を感じます。男女で違った系統の顔を描き分けるのも上手いと思います。

この何とも言葉に出来ない魅力は、ジュヌセクワ(je ne sais quoi)という感覚に近いかもしれません。純粋な画力でいえば、邪馬台の絵よりも上手い漫画は他にもあったはず。でも、邪馬台の絵には、独自の魅力があった。そしてそれはその後の作品へと受け継がれていきます。

彼とて最初から神だったわけではない。でも、彼の絵には最初から「何か」があった。僕にはそう見えました。

本編を読んだ後だと、前述の新イラストの画力にはなおさら圧倒されました。上手すぎる。顔や表情が上手いのはもちろん、指のような細かいところに感情を乗せる技術も高いと思います。単行本を持っている人も、このイラストのために買う価値があると思いました。


後の「ToLoveる」の印象があまりにも強いため画力にばかり注目してしまいがちですが、個人的に邪馬台はストーリーもなかなか面白いと思いました。

王道の少年漫画として純粋に楽しく、購入後に一気に読み通してしまいました。

だからこそ16話で終わってしまったのが本当にもったいない。「これからだったのに!」と思いました。壱与の過去については触れられず、物語の全体像もようやく見えてきたばかり。少なくとも壱与の過去については、それが何なのかは決まっていたと思います。せめて何かしらの形でそれらを知ることが出来ればいいのですが、真実はこれからも先生の頭の中だけに存在し続けるのでしょう。

連載打ち切りという形で終了になったみたいですが、個人的にはもっと続いて然るべきだったと思います。今の画力で再開したらもっと凄みのある作品になりそうですね。

そういうわけで邪馬台幻想記は個人的には買ってよかった作品でした。矢吹先生の絵に魅力を感じる方は今からでも読んでみることをおすすめします。

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イラスト練習記録(1)https://fragments-t.com/2026/10/illust_practice_1.htmlTue, 13 Oct 2026 03:45:09 +0000https://fragments-t.com/?p=14648

イラスト練習についての個人的な記録。何回目まで続くか分からないけど今回が第一回目。 Live2D用のアバターとしてアニメ風キャラを描いたことで、こういった画風や方向性の面白さを発見。さらに、イラストを本格的に趣味に出来た ... ]]>

イラスト練習についての個人的な記録。何回目まで続くか分からないけど今回が第一回目。

Live2D用のアバターとしてアニメ風キャラを描いたことで、こういった画風や方向性の面白さを発見。さらに、イラストを本格的に趣味に出来たらいいなと思って、インプットや練習を開始。

一時はLive2Dで動かすのが面白いと思っていたのですが、いつの間にか意見が変わり、今では一枚絵を描く方が楽しくなっています。

【関連】2Dアバター自作プロジェクト【OpenCanvas+Live2D】

【関連】2Dアバター自作プロジェクト(2)全身版

【関連】イラストなどのアウトプット型の趣味を持ちたい – 没頭と幸福感


線画から塗り、背景まで全要素をいきなり突き詰めようとしても無理だと思って、まずは当面集中する課題を絞りました。

・体の曲線と全体のプロポーションの練習をしたい。これが一番。
・手の練習をしたい。
・直立以外のポーズを書きたい。
・まずは線画そのものを優先した。塗りは見様見真似で最低限。
・背景も最低限。

 

そういう方向性で練習をしつつ、たまに一枚絵を描いています。(たぶん後から見返したらヘコむとは思うけど載せておく)

なんかもう色々変だけどこれが今できる全て。人物画を練習し始めてから実質2ヶ月くらいだと考えればまあ。

プロポーションの話で言うと、個人的には6~6.5頭身が好みだと分かりました。7頭身までいくとスタイルはいいけど、ちょっと理想からズレすぎる印象があります。

『ソッカの美術解剖学ノート』を読む

これの2ヶ月くらい前に、ルーミスの「やさしい人物画」を買って模写をしていました。序盤のプロポーションや棒人間の項目はとても役に立ちました。しかしその後はただ模写をしているだけで、手段が目的化していた気がします。そんなこんなで面白くなくなり挫折。(今から思うと脳死模写を続けなくてよかったと思います)

そもそもこの本の原題が「Figure drawing for all it’s worth」なので初心者に優しいはずもなく。ただ出版社が売りたいがために「やさしい」と訳しただけっぽいです。

【関連】『やさしい人物画』がやさしくないという印象について

 

それからやみくもに模写や練習しても意味がないなと思って色々調べた結果、美術解剖学を学んでみることにしました。それで買ったのが『ソッカの美術解剖学ノート』。定価7,370円(税込み)。これまで趣味で買った中ではぶっちぎりで一番高い本。ただ、間違いなく値段の価値はあったと思います。

 

この本のレビュー的なものはまた個別の記事に描きたいと思うのですが、個人的に良かったのは「これを読んだことでフィーリングで描く部分が減った」という点です。この点については特に手応えがありました。

僕は以前から「人間の体が持つ曲線をきれいに描きたい」と思って、本格的にではないもののデッサンの練習を少ししていました(ルーミスもその1つ)。しかしいつも想像やフィーリングを頼りにするために、自分で描いていて明らかにおかしいことに気づいていました。

とにかくフィーリングに頼った描写をこれ以上したくない。何の根拠もなく適当に線を引いて、それがいい感じになるかどうか運ゲーをしているのが本当に苦痛でした。これはやっていることが根本的に間違っているなと。
(まあ今でもCtrl+Zの運ゲーはないとは言えないけど)

そこで役に立ちそうだと思ったのが美術解剖学で、その分野で一番自分に合っていそうだと思ったのが上記の『ソッカ』だったという形になります。値段で怯みましたが、「なんでここに窪みがあるのか」「なんでここが膨らむのか」とか「どこが人体のランドマークなのか」といったことを広く学べました。しかも、そういった知識をガチガチの学問スタイルではなく、日常の感覚から無理なく学べるような動線が敷かれているのも評価ポイントでした。そのおかげで600ページ以上の文量でも読み通すことが出来ました。その後も適宜参照しています。

ソッカに一通り目を通した後、課題を洗い出すことを目的としてオリジナル作品の製作を進めていきました。その知識をもとに体の部位を骨や筋肉のパズルで埋めていき、(まだ理想には程遠いですが)以前とは比べようもないほどマシな線が描けるようになったと思います。

コントラポストについて知ったのも本書がきっかけでした。とにかく色んなことを学べました。この本の詳しいレビューは別な投稿でする予定。

手も上手くなりたい

体の曲線の他に、手も上手く描けるようになりたいと強く思っていました。というのも、手は感情を表現する重要なパーツだからです。

この少し前に作っていたアバターでは手をそもそも範囲外にしたり、衣装の一部で覆ってごまかしていました。理由は単純。描けなかったからです。

手を含められなかったり上手く描けないままではまともな絵が描けないなと思って、「ソッカ」を読むのと並行して毎日手の練習をしていました。描きたい手の形を自分の写真で用意し、それをもとにコツコツ練習。しかし輪郭線を脳死で模写しても意味がないので、手を円柱やブロックに分割して構造を捉えるトレーニングをしていました。特にブロックで分けると「どこでどういう角度でくっついているか」が分かりやすく、意味があったと思います。

また、誤解していた骨の構造、関節の角度やプロポーションについては「ソッカ」で学び直しました。

しかし、自分の手を綺麗に描けても、実際にはそれをデフォルメして美少女キャラクターの「お手々」にしなければなりません。それはそれでまた別の練習が必要でした。自分のゴツゴツした成人男性の手が描けても、むしろそこがスタート地点。どうデフォルメすべきかは、先人たちのイラストも参考にしました。

こういったデフォルメイラストでは「しわ」や節のような装飾を描くことが許されないので、シルエットの線と影だけで勝負しなければなりません。しかも手は日頃から目にする機会が多い場所であるためか、ちょっとしたズレが一気に全体のイメージを変えます。つまりちょっとでも変だと間抜けな手になる。特に、迷い線のない清書をすると、その歪がより顕著に現れます。

そういうわけで、手についてはやればやるほど難しく感じていきました。デフォルメ=簡単、という認識は間違いだと思います。

依然として理想には及びませんが、これでも練習前と比べたらずいぶんマシになった方ではあります。練習の方向性自体はそんなに間違ってなさそうなので、これからも手はコツコツ練習する予定。

作品を描く

以前描いていたLive2D用のアバターイラストは、一般的な一枚絵のイラストとは似て非なるものだと感じていました。というのも、アバター用イラストは正面からの画角で直立しているため、とにかく描くのが楽なのです。利用できる資料がパーツごとに無限に見つかるため、実質パーツごとの模写のような形でもまあまあ描けるものだという印象でした。こんな感じで↓

 

しかし一般的な一枚絵の場合、話は変わってきます。基本的に完全な正面直立ではない何かを描くことになると思うのですが、そうすると考えなければならないことが一気に増えていくように感じました。挙げればキリがありませんが例えば、斜め顔の描き方、腕を曲げたときどういった角度になるのが自然か、その場合筋肉はどういったカーブを描くか、などなど、冗談抜きで頭がパンクしそうでした。分からないことが多すぎて、書き始めの頃は手が止まりかけたくらいです。

しかし現在の僕が最もやりたいことは依然として「人体の曲線をきれいに描けるようになりたい」ということでした。特に腰のくびれから始まり、大腿骨の大転子から太もも、ふくらはぎ、足首へと続くカーブが描けるようになりたい。課題は無数にあるのですが、いっぺんに取り組むのは不可能。なので作品の方向性としては、体の曲線をメインテーマとしました。

「ソッカ」の該当する部分を調べ、どこでどういう骨や筋肉が曲線に影響しているのか調べ直しました。これはかなり意味があったと思います。当てずっぽうよりもずっとマシな結果になったことは確かです。

また、アバターのような直立ではないポーズを描きたいとも思っていました。そこで知ったのがコントラポストです。要は左右非対称。例えばミケランジェロのダビデ像は骨盤と胸郭がそれぞれ違う方向に傾いていて、単調ではないものの自然な姿勢です。

正直衣装(服)はまだそんなにこだわる余裕はないのですが、かといって服がないと公開できる形になりません。なので、まずは素の状態の全身を描き、その上から服を被せる形にしています。これならプロポーションや人体の曲線の練習もできます。

イラストに没頭しているのが楽しかった

ちょっと毛色の違う話なのですが、この少し前に「没頭」についての記事を書きました。

【関連】イラストなどのアウトプット型の趣味を持ちたい – 没頭と幸福感

要は、「何かに没頭している時間がすごく楽しい。創作型の趣味を作って没頭したい」って話です。

最近はイラストを描くことに没頭することができていて、基礎的な練習や作品の製作もとても楽しく取り組むことが出来ています。これは当初期待していたのと同じか、あるいはそれ以上に好ましい結果となりました。少なくとも、ここ6年くらいの間でこんなにも熱中できたことはありません。

それ以前ではもっぱらゲームで暇つぶしをしていることがほとんどでした(主にハクスラ)。しかしゲームの中でいくら強くなっても現実では何も変わらない。一方でイラストならゲームほどの派手さはないものの、コツコツと現実のスキルを磨いていくことが出来ます。これが僕にとっては特にやりがいを感じられるポイントでした。まだ初歩の段階だからでしょうが、「なんか前より上手くなってないか?」と思えることがそれなりにあって、その度に1人で喜んでいます。

そういうわけでしばらくはイラストの練習を続けていこうと思っています。ただ僕ももう歳なので、何かを始めるには遅すぎるのかもしれません。そう思うことがしばしばあります。とはいえ今やりたいならやらない理由もないなということで、コツコツ続けていく予定。

【リンク】Pixiv

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イラストなどのアウトプット型の趣味を持ちたい – 没頭と幸福感https://fragments-t.com/2026/10/output-hobby.htmlMon, 05 Oct 2026 03:48:45 +0000https://fragments-t.com/?p=14630

要約 ・個人としての幸福が存在するとして、それはどこに、どんな状況に存在し得るか? ・現在の個人的認識としては、幸福は「没頭」の中にこそ存在し得るものだと考えている。 ・その反対はメタ認知である。暇なときほどメタ認知して ... ]]>

要約
・個人としての幸福が存在するとして、それはどこに、どんな状況に存在し得るか?
・現在の個人的認識としては、幸福は「没頭」の中にこそ存在し得るものだと考えている。
・その反対はメタ認知である。暇なときほどメタ認知して辛くなる。どうして生まれてきてしまったのかとか。
・よって、何か没頭し続けられる対象さえあれば、幸福感を抱き続けやすくなると見ている。
・継続性を考えるなら、消費型ではなく創作(出力、アウトプット)型の趣味が最も理想的。なぜなら終わりがないから。
・イラストは個人的に向いているかもしれない。

この議論はまず、幸福という主観的な印象が実際に存在するという前提に則っています。つまり、幸福は蜃気楼のようにいつまでも手に入らないものではなく、何かしらの方法や選択によって、生きている間に実際に抱くことができる印象であると仮定します。

正直個人的に幸福感という印象の存在可能性については、半分怪しく思っています。というのも、人間はやっぱり何かしらの「救済」を想定しないとやってられない生き物であり、何気なく使っている幸福という言葉・概念もまたそういった都合のいいストーリーに過ぎないとも考えているからです。例えば一部の宗教でいうところの死後の救済とか。あるいは戦後日本の標準的ライフコースをトレースした先で得られる自己肯定感とか。つまり僕たちは、「餌」がないとやってられないわけです。「きっとどこかに幸福があるはず。救いはどこかにはある。だからそれを追い求めよう」というわけ。僕はいつもいつも幸福でありたいと思っているのですが、それも結局のところ、「救済があってほしいという願望」に基づいている気がしています。これは少なくとも半分はアタリだと思います。
(幸福感なんてそもそもセロトニントランスポーター遺伝子の影響が半分とも言われていて、結局そういう話でしかないとも同時に思います)

とはいってもやっぱり宝くじが当たるのを夢見ていたいのと同じように、紛いなりにも幸福を追い求めないとやっていられないのが僕という人間です。では一旦その願望ベースの仮定を受け入れたとして、実生活でどうやって幸福を追求すればいいのか。これは0か1かの話ではなく、グラデーションの話です。つまり「今日はちょっと気分がマシだった」とか「不幸を忘れる時間を少し持てた」とか、そういう話でいいのです。

結論としては、冒頭の要約で述べたとおり、「何かへの深い没頭」こそが、現実的に追求可能な幸福感に繋がる手段だとほとんど確信しています。

没頭こそが答え

どうしたら幸せになれるのか?そもそも幸せとは何か?これまでの人生でどんな状況が一番幸せと言えたか?

こういった疑問の答えを出してみると、僕の場合、何かに没頭しているときが一番幸せだった、と言えます。気分が良かったというよりはむしろ、「気分の良し悪しという基準そのものから解放されていた」とも言えます。

仮にこの個人的な答えが自分の中で正しかったと仮定しても、一般的な見方と食い違うような節を感じます。というのも多くの場合、幸福というのは何かを成し遂げた瞬間(つまり出来事)や何かを成し遂げた先で得られる状況こそが幸せだと見なされているように、僕には見えるからです。

そういった分かりやすい要因(嬉しい出来事、理想的な状況)と比べると僕がいう「没頭」はあまりにもスケールが小さく、地味で、取るに足らないものに思えます。しかしそうは思うものの、僕の人生を振り返っても、やっぱり没頭こそが僕にとっての幸福に一番近いものだったという認識は変わりません。

誰しもそうであるように、僕の人生には良いことも悪いこともありました。個人的に偉業ともいえることを成し遂げて(嬉しい出来事を経験して)、望ましい状況を掴んだこともあります。その反対に、大きな挫折を味わったこともあります。前者の好ましい出来事や状況は確かに、僕にとって文字通り好ましいものであり、幸福感に大きく寄与していたことは間違いありません。しかし人間という生き物は慣れてしまうもので、どんなに良いことがあっても、それを次第に当たり前のことと見なしてしまうように思います。つまり、良いことは幸福感を一時的に高めてはくれますが、時間が経つにつれて幸福感はもとのセットポイントに収束していくということです。これは実感として確かだと強く思います。
(そのセットポイントは人それぞれ、セロトニントランスポーター遺伝子で決まっている説が僕の中で濃厚)

別に何かを成し遂げるのが無意味だとか、状況など幸福感に関係ないと言っているわけではありません。僕がいいたいのは、現実的に最も深く、日常の中で長く感じ続けられる幸福感があるすれば、寝食を忘れるほどの没頭にあるということです。

メタ認知(不幸の源泉的なもの)からの解放

なぜそうなのか。端的に言えば、没頭状態では他の様々なことを一時的にでも頭から締め出すことができるからです。個人的に最も注目すべきは、没頭は人間を一時的にでもメタ認知から遠ざけてくれるという点です。

メタ認知自体は別に必ずしも悪いもの、不幸なものではありません。しかし、実生活をどれだけグレードアップできたとしても、人間は次から次へと何かしら問題を見つけ出す生き物です。誰しも経験があると思いますが、ある時点で、実生活の問題Aを100の深刻度で悩んでいたとします。このとき、深刻度80の問題Bのことはそんなに気になりません。しかし、一旦問題Aが解決してしまうと、今度は問題Bの深刻度が100になって、またしても同じように悩み始めます。つまり、人間の頭というのは次から次へと何か問題を見つけては解決しようとする癖(くせ)があるように思います。

メタ認知は合理的思考などの場面でとても有益なツールであることは確かですが、上記のような悩みを作り出している一因にもなっていると個人的には日々強く感じています。身の回りの問題をあらかた片付けたとしても、「人生には一体何の意味があるのか」「なぜ生まれてきて、こんなにも面倒なことをやらなければならないのか」とメタ認知しだすと、幸福の反対、つまり不幸と言ってよい感覚が頭を支配し始めます。ある見方をすれば、幸福を追求するとは、不幸を遠ざけることと言ってもいいと思います。一般的に言って、「大きなプラスと大きなマイナスがある状況」よりも、「大きなプラスもないが、大きなマイナスもない状況」の方が、全体としては好ましいものとして扱われることが多いように感じます。例えば、英語100点数学20点の生徒は進級できませんが、英語も数学も60点の凡庸な生徒はギリギリ進級できます。これと同じです。

メタ認知はだめなものじゃない。でも、メタ認知をすればするほどこの世界や自分は問題だらけになって、不幸を感じてしまう。そこで、「必要な場面以外ではメタ認知が強く働かないような工夫をすることで、幸福を擬似的にでも追求できないか?」というアイデアが生まれます。

メタ認知を遠ざけるために没頭する=暇をなくす

余計なメタ認知をすればするほど不幸を感じやすくなる。ではどんなときにそういった余計なメタ認知をしてしまうのか?答えは単純。暇なときです。暇を持て余してやることや考えることがない、つまり意識を向ける対象がないときほどメタ認知しやすくなると感じています。

すると次にやるべきことは、なるべく暇をなくすことです。つまり、何か意識を向ける対象を見つける必要がある。生活の中でそういった対象になり得るものには様々な種類がありますが、個人的に最も理想的なものは「娯楽」だと思います。要はここまでの話をまとめると、「娯楽に深く没頭している一時的な状態こそ、最も理想的で強い幸福感に繋がる」というのが僕の主張になります。

娯楽が没頭の対象として好ましいのは、「面白いから好ましい」という単純な見方以上の意味を持っています。没頭する対象を見つけるにあたっては、取り組む時間を自分でコントロールでき、生活の空き時間の中に柔軟に組み込めるものが望ましいです。なぜなら、暇をピンポイントで狙い撃ちして抑制することができるから。

例えば、一般的に言って労働というものは、人間を暇という苦痛から一時的に解放するという側面を持っているように思います。しかし僕はそういった形で暇から解放されるのを理想的だとは全く思えませんし、また、労働という暇の埋め方は1日中利用することも出来ません。

意識を向ける対象である娯楽として、僕のこれまでの人生の中で最も合っていたのは「ゲーム」でした。ゲームほどコスパのいい入力型の趣味を僕は知りません。僕は飽き性なので様々な娯楽に手を出してきました。しかしゲームだけは小学生の頃から30代の今までずーっと続けています。ゲームをしている間だけは局所的・一時的にでも他のことを忘れて、その世界の没頭できる。そういった没頭状態が僕にもたらしてくれる感覚は、まさに現実に追求可能な幸福感とも言ってよいものでした。

こうして言葉にしてみるとあまりにも陳腐である感は否めません。しかし、一時的にではあるもの没頭がもたらしてくれる「擬似的な無の状態」は、他の何者にも代えられないほどの力を持っているように思います。やっぱり何度考えても没頭がもたらす感覚こそが僕とっては一番の幸福なのです。

消費型より創作型の娯楽が継続的で望ましい

没頭の対象(娯楽)として、どういった特徴を持つものが好ましいのか。この歳まで生きていて僕が思うのは、長い目で見れば何かを「消費する」タイプの娯楽よりも、「自分で作り出す」タイプの方が好ましいということです。なぜなら、後者の方は明確な終わりが存在せず、継続性があるから。

前述のとおり、僕は20年以上にも渡ってゲームという娯楽に没頭し、メタ認知を遠ざけ、紛いなりかつ一時的にでも自分なりの幸福感を(昔は無意識で)追い求めてきました。しかし近年になってそういった手法の問題点を痛感しつつあります。それは、ざっくり言えば「ゲームはクリアしたらおしまい」という点です。

ゲームは遅かれ早かれどこかでクリアが訪れるか、飽きます。モノによって長くプレイできるものもありますが、それでも人間は飽きる生き物で(なおかつ僕はエクストリーム飽き性なので)どこかで飽きます。僕は他にも読書も没頭の対象として利用してきましたが、正直、僕が読みたいと思える系統の本の頂点とも言える作品を読み尽くしてしまった感があります。例えば僕はオーウェルの「1984」が好きなのですが、この方向性でこれを超える作品はもうないと思います。ドストエフスキーの「カラマーゾフ」もけっこう近い内容ですがそれも読んでしまいました。アシモフのファウンデーションを超えるSF小説はもう出てこないと思います。シオランを読んでからは「もうこれ以上議論することはないな」とも思いました。そりゃ確かに別な軸の本を探せば名作はいくらでもあるのでしょうが、僕の興味がないので意味がありません。

そういうわけで、消費型の娯楽だけではどこかで限界が来ると感じています。ゲームも次から次へと新しいものが出ては来るものの、本当に没頭できる作品は限られています。もちろん今後もゲームは娯楽として楽しみ続けるつもりではあるのですが、それだけでは不十分であるという認識を近年僕はますます強めています。

そこで次に目を向けるべきは、創作型の娯楽です。消費型の娯楽をインプット型と表現するなら、ここでいう創作型の趣味はアウトプット型と定義することが出来ます。つまり、誰かが作ったものを楽しむのではなく、自分で何かを生み出すタイプの趣味であれば、継続性という点で圧倒的な強みを持ちうるということです。

ゲームはクリアしたら終わり。本も読み終わったら終わり。しかし、ゼロから何かを作る行為なら?もちろんそれにも飽きはくるでしょうが、消費型と比べたとき明確な終わりがないという点で別次元の時間的スケール性を持っています。これは消費型で問題だった「どこかで限界が来る」という障害を解決する健全な糸口になると見ています。

また、ある見方をすれば、創作型の趣味は実生活でのスキルを伸ばすという点でも優れているといえます。例えば絵を描いたり、彫刻を作ったり、手芸をしたり。別にお金になるとか、仕事にできるという意味ではありません。ここでいいたいのは、創作型の趣味を極めることは、現実世界での自分のレベルを上げることであるとみなせる、ということです。

ゲームの中で強くなっても、それはゲームという閉じた箱庭の中だけの話です。ゲームを終了すれば、以前と何も変わらない生身の自分と向き合うことになります。確かにそのゲーム内での成長を現実世界で発信するなどして、それを1つの創作とみなすこともできるかもしれません。しかしそれとて、元を辿れば明確な寿命が存在する消費型の娯楽に依存しています。

よっぽど特殊な設備がないとできない内容でない限り、創作型の趣味も隙間時間を柔軟に埋めやすい行為だと思います。つまり、日々の細かなメタ認知を狙い撃ちできる性質を備えているということです。

個人的にはイラストが向いているかもしれない

では僕が個人的に利用できそうな創作型の趣味は何があるのか。これはもう自分の中で答えが出ています。イラストです。

そもそもこの記事を書こうと思い立ったのが、最近イラストをよく描き始めたからでした。前述のとおり、以前からゲームを没頭の対象として長く利用してきたものの、最近になって継続性の限界が見え始めていました。同時に、創作型の没頭の対象こそが、そういった問題の解決策としてうってつけであるとも考えていました。僕は昔からちょいちょいイラストを描いてはいたのですが、正直趣味と言えるほどのものではなく、本当に気が向いたときの一時的な暇つぶしというに過ぎませんでした。

しかし今になって「もしイラストという娯楽を、ゲームと同じくらいのレベルの選択肢に出来たら?」と考え始めました。

自分で言うのもあれですが、僕はイラストは今でも上手くはないものの、その分野において「最初の一歩で躓かないタイプの人間」だと自分で思っています。どういうことかというと、特別な練習をしなくても、まあまあの形になる感じがしています。

例えば今年の夏は、ペンタブで下記のような模写をしていました。(線をなぞるのではなく、目で写し取る)

 

それからある日突然雷に打たれたように2Dアバターを作ってみたくなって、下記のようなオリジナル作品を描きました。色々ツッコミどころはあるのですが、自分でも「これまでの練習量に対する質」で言えば悪くないと感じています。

【関連】2Dアバター自作プロジェクト【OpenCanvas+Live2D】

【関連】2Dアバター自作プロジェクト(2)全身版


この記事を書いている時点では、まだイラストを本格的な趣味として今後の没頭の対象として利用できるか、確信はありません。しかし大したコストもかけずに取り組めるわけですから、飽きるまで試してみようと思います。試してみても損はないでしょう。

もしもイラストが、これまでのゲームと同程度の娯楽になるとしたら、それは僕にとって幸福なことなのかもしれません。

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2Dアバター自作プロジェクト(2)全身版https://fragments-t.com/2026/10/avatar_create_2.htmlSun, 04 Oct 2026 11:06:06 +0000https://fragments-t.com/?p=14623

【前回】2Dアバター自作プロジェクト【OpenCanvas+Live2D】 「2Dアバターを自作できたら面白そう」と思いついてプロトタイプを作ってみたのが前回までの内容。それからもう少し気合を入れて、全身バージョンを作っ ... ]]>

【前回】2Dアバター自作プロジェクト【OpenCanvas+Live2D】

「2Dアバターを自作できたら面白そう」と思いついてプロトタイプを作ってみたのが前回までの内容。それからもう少し気合を入れて、全身バージョンを作ってみました。

ただし今回はイラストを描いたところで完全燃焼してしまったため、Live2Dで動かしてはいません。つまり画像のみ。

一応Live2Dで動かせるようにほとんどパーツごとに作ってあります。


前回から色々変わったのですが、まずは全身を描くということでイラストソフトの画像サイズを4000px × 8000pxにしました。これで細かいところまで書き込むことができます。

それからイラストソフトもクリスタに変更しました。前まではXPPENの板タブにバンドルされていたOpenCanvasを使っていたのですが、最適化不足や使用感の不満を感じて、クリスタに移行した形です。めーーーちゃくちゃ色んなことがやりやすくなりました。もっと早く移行しておけばよかった。

ちなみにアバター製作を始めてからずっと、色だけは全部Geminiに相談して教えてもらっています。例えば、「ゴスロリ系の服を白と黒を基調として作りたいから、ベースとなる色と、それに対応する影の色を2種類教えて」みたいな。それもあって、色で大間違いはしていないように見えます。ただしこういった方法だと、自分で色を選んでいくスキルは全く磨かれないのが難点。今回はアバターを作ること自体を目的にしていたため、成長機会の損失を受け入れ、ショートカットとして利用しました。

どうしても凝った衣装にしたいということで、フリルとレースを手書きする練習を少ししました。色々ツッコミどころがありますが、何がしたかったかは伝わると思います。

全体としても色々ツッコミどころは依然として多いですが、前に比べたら一回り出来のいいものが作れたと個人的には思っています。特に衣装については、集めた資料からいいとこ取りをして上手くまとめられました。

一方で、こういったアニメ系イラストの難しさも痛感しました。線画然り、塗り然り、本当に奥が深いです。

Live2D用にパーツ分けして細かくレイヤーを管理するのは大変に感じましたが、それにはイラスト段階でも強力なメリットがあると気づきました。それは修正が容易なことです。全てのパーツを完全にバラバラにしているので、「鼻をもう少し下げよう」とか「目の高さだけを狭めてみよう」といった調整がいとも簡単に行なえます。裏側まで色を塗っていることがほとんどなので、それぞれのパーツを独立してカスタマイズすることが出来ます。

一枚絵を描くときも結局は後から色々いじりたくなるので、結局はレイヤーに分けるのはすごく便利だと思いました。

 

当初はLive2Dで動かすまでを1つのプロジェクトとしていました。しかし今回のイラストが自分にはあまりにも負荷が大きすぎたのでもうこの先をやる気力がありません。

一方でこういった類のイラストを描くこと自体がなかなか楽しく、これはこれでやりがいがあると気づきました。全く予想外ですがそっちのモチベーションは図らずも上がった形になります。

何にせよ2Dアバターを作る過程というのは僕にとって新鮮で面白く、今回のイラスト製作もやりがいがあるものでした。

ちなみに、描いたものは適当にPixivに放り込んでいます。

【リンク】Pixiv 作品一覧

 

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ギャルゲークリア後の独特の物悲しさ・喪失感についての分析https://fragments-t.com/2026/10/galgame_sadness_analysis.htmlSun, 04 Oct 2026 09:42:01 +0000https://fragments-t.com/?p=14620【注意】この記事ではギャルゲーを価値あるものとして肯定的に捉えてはいるものの、現在進行系でギャルゲーを楽しんでいたり、これからも楽しもうという人のモチベーションを毀損する可能性もなくはありません。その点を考慮したうえで読んでいただきたいと思います。

要点
・いわゆるギャルゲーをクリアしてしまうと、他では味わうことのない種類の悲しさや喪失感で辛くなる。
・ある時点を境にその感覚が辛くなり、それ以降ギャルゲーが全く出来なくなった。

・その心理の根本が何なのか、10年以上経っても未だによく分かっていない。
・改めてこの独特な心情を分析する。


僕がいわゆるギャルゲーと呼ばれるゲームに初めて触れたのは、この記事を書いている時点で既に10年以上前のことです。そのとき僕は大学1年生で18~19歳でした。大学で知り合った極めて文化的な友人の勧めでプレイしてみたところ、これまでにない面白さを感じました。初めてやった作品は今でも覚えています。「G線上の魔王」でした。

この手のギャルゲーにハマった要因は複合的なものだったと思います。特に下記のような点で素晴らしく感じることが多く、それらが合体したことで全体として魅力的なコンテンツとして僕の目には映っていました。

・イラストが綺麗、かわいい。パッケージも綺麗。
・シナリオが面白いものが多い。伏線回収や葛藤を引き起こす展開など。
・テーマ曲が良いものが多い。それゆえにPVも1つの映像作品として秀逸。
・(ほとんどのパートで)音声付きなので臨場感がある。

そういうわけで大学1年生の僕は、ギャルゲーの世界にどっぷりハマっていきました。学業以外はほとんどギャルゲーのことを考えていたと言っても過言ではありません。自分で気になる作品を次々に買って、プレイしては感動していました。僕は何かに夢中になるとしばらくの間はそのことしか考えられなくなるタイプなのですが、まさにそういった没頭の典型例でした。

そんな日々がおよそ半年ほど続きました。


しかしある時、僕の心情にいつの間にか変化が訪れます。これまであんなに楽しかったギャルゲーをやろうと思えなくなったのです。その理由は、
「クリアした後の独特な物悲しさ、喪失感に耐えられなくなったから」
でした。

ここでは「物悲しさ」「喪失感」という言葉を使いましたが、この感覚を直接表現できる言葉を僕は知りません。おそらく以下に続く長い記述によってしか、それを表して人に伝える手段がないように思います。

そういった感覚をはっきりと自覚し始めたときでさえも、ギャルゲーをやっている間は普通に面白いと感じていました。しかしそれを全ルートでクリアしてしまった瞬間、他で味わうことのないタイプの苦しさを感じ始めるのです。

結局僕がギャルゲーに熱中していたのはその半年の間だけで、それから今に至るまでの10年以上、一度もあの手のギャルゲーを買ってもいなければ、やってもいません。冗談抜きに、辛くてやれないのです。なので2026年現在ギャルゲー界隈がどういう現状なのかもほとんど知りません。

しかしこれはギャルゲーに価値がないと言っているわけではありません。むしろその逆です。おそらく何かしらの点であまりにも魅力的なコンテンツであるがゆえに、それが終わることに付随する様々な感情に耐えられなくなったのだと思います。僕はもう10年以上ギャルゲーをやっていないわけですが、それでもなお、おそらく今の僕にとっても、ギャルゲーというコンテンツは変わらず魅力的であると言えるでしょう。なのではっきり言っておきたいのですが、ギャルゲーという文化から離れてこれだけの時間が経った今でも、僕はギャルゲーの開発者たちに敬意を表します。ギャルゲーは他で替えのきかない、唯一無二の魅力を備えたコンテンツだと思います。

 

さて問題は例の独特の喪失感にも似た心情にあります。さらに厄介なのは、その心情の正体が当時から今に至るまで、自分でもよく分からないということです。

歳を取るにつれて、自分の心情や心理を自分で理解することが出来るようになったと思います。例えば、「人に優しくするとき、自分も優しくされたいと思っている」とか「自分の実績をひけらかすのは、実は自分に対する自信のなさの裏返し」だとか。しかし例のギャルゲー問題の本質が一体どこにあるのか、「これ!」と指さすことは未だに出来ません。

僕はこの問題(問題と呼ぶほどのものでもありませんが)をたまーに思い出しながら、10年以上の長い時間を過ごしてきました。最近になって2Dアバター用のイラストを趣味で描く機会があり、その資料集めとして偶然にもギャルゲー関係の情報が目に留まりました。そんなこんなで、ふと思い出したという形になります。

18歳の自分が感じたあれは一体何だったのか。今改めて考えてみると、下記のようになります。仮説を立て、それらに検証を行いました。

仮説1:現実との乖離

ゲームの世界と現実との乖離、つまり、ゲームと現実があまりにも違いすぎて虚しさを感じているのでは?という説。これは部分的に当てはまると思います。

個人的には、恋愛要素というよりは自分が属する世界の魅力そのものに対する失望と言った方が適切かもしれません。なぜなら別にリアルで恋愛したいという感情はあまり感じていなかったからです。

ゲームの中では美少女と関われる。現実ではそうではない。確かにそれは好ましくない乖離といえます。

しかしながら大前提として、僕はゲームの主人公(男性)と自分を同一視していません。つまり、僕はその世界の観察者でしかないのです。ゲームの中の美少女が向ける好意は別に僕に対するものだとは思っていません。

また、(信じてもらえるか分かりませんが)僕は現実世界での恋愛欲求というものがおそらく人よりもずっと少ない人種だと思います。強がりではなく、別に現実でああいう思いがしたいとは望んでいないのです。あるいは、現実の恋愛のハードルがあまりにも高すぎるがゆえに、その実現可能性すら検討できないくらいなのかもしれません。

そういうわけで、ゲームの中のような恋愛がリアルで出来ないことは大きな問題ではないように思います。一方で、「現実はなんて無味乾燥なんだ」とは確かに思っていました。

これはキャラクターとの関わりというよりも、「意味」や「価値」の存在についての話です。一般的に言って、人生における意味というものは、普遍的に存在しているというよりも、各自が自らの信条のもとで勝手に作り出すものだと考えています。その点、僕は人生に大した価値や意味を見出すことは当時からあまり出来ていなかったように思います。

一方で、ギャルゲーに限らず、ゲームの中にはたとえ虚構に過ぎないとしても「一時的な意味」が確かに存在します。普通のゲームならレベルを上げて装備を集めて強くなることに意味がありますし、ギャルゲーなら魅力的なキャラクターの存在そのものや、彼女らが送る日常にも確かな価値があります。

そんなリアルとゲームの世界の対比を前にして、特にゲームクリア後に独特な喪失感を感じたのはかなり必然的だったと思います。よって、僕の複合的な苦しみの中に、現実との乖離は部分的に影響していたと言えます。

仮説2:先がないことへの悲しさ

「その先がなくなる」「キャラクターがもう二度と言葉を発しなくなる」ことが辛いのでは?
→これは半分正解とは思いますが、これだけでは説明がつかない要素があります。

これまであんなにも生き生きと存在していたキャラクターたちがもう終りを迎え、新しいことは何一つ生まれなくなる。これは確かに間違いなく悲しいです。僕が感じた耐えられないほどの喪失感の一部はこれだったと思います。

しかし、それだけでは説明がつかないことがあります。それは「大好きな物語でも、終わった後に寂しくならないものもある」という事実です。

例えば僕は映画・小説のハリー・ポッターが大好きです。何度も観ています。キャラクターのことも、その世界のことも好きです。しかしハリー・ポッターの場合、最終話が終わったからといって例の独特な悲しさを感じることはありません。これはギャルゲーとハリー・ポッターとの間の大きく明確な違いです。

ハリー・ポッターの最終話が終われば、ハリーもロンもハーマイオニーもそこで終了です。それから先には台詞もストーリーもありません。まあ多少悲しいのは確かですが、特別注目に値するほどの感情ではないと思います。

するとやっぱりギャルゲー特有の「何か」があるに違いないと思います。そこで次の仮説を立てました。

仮説3:脳をハックするギャルゲーの仕組み

ギャルゲーのデザイン、UI、仕組みが、脳をハックできるくらい没入感を高める仕様になっている説。
→今のところ、これは僕の中でかなり有力な説です。これにより、人によってはギャルゲーがあまりにも魅力的過ぎるコンテンツになっていた可能性があります。

特に、(1)インタラクティブな体験を提供する点と、(2)ベビースキーマが極限まで突き詰められている点は見逃せない要素だと思いました。それぞれ見ていきます。

インタラクティブであること

ゲームも映画も虚構です。しかし、前述の映画と違い、ギャルゲーの場合はあたかもプレイヤーとキャラクターがコミュニケーションを取っているかのような演出がこれでもかというくらい凝らされています。

製作者たちが意図しているかは分かりませんが、ギャルゲーには下記のような点で「脳をハックする」仕組みが存在すると僕は見ています。

主人公と自分を同一視しようとしまいと、ギャルゲーではキャラクターが基本的にこちらを見ています。彼女らはカメラ目線によって、擬似的にプレイヤーを見ながら話していることになります。一方でハリー・ポッターのような映画の場合は、キャラクターは(超特殊なシーンでもなければ)カメラ目線にはなりません。視聴者は完全なる観察者の立場に置かれます。一方で、ギャルゲーでは一応形の上では自分と主人公を同一視するような構図が存在します。これはコンテンツの性質として大きな違いだと思います。

次に、物語の進行においてもプレイヤーは映画の場合以上に関与することになります。映画の場合、再生されたものをただ眺めているだけで話が進んでいきます。一方でギャルゲーの場合、
・プレイヤーがクリックする
・キャラクターが次の台詞を喋る(音声付きで!)、あるいは次のシーンに進む、ルートが変わる
といった形で、物語を進めるのはクリックするプレイヤーの役割です。

やっぱりここでも、ギャルゲーにおいては、プレイヤーがその世界に没入するような仕組み・UIになっていると言えると思います。

こういった特徴によって、ギャルゲーにおいてはインタラクティブな(相互的な)やりとりが発生します。それを何時間も繰り返しているうちに、プレイヤーはその世界に引きずり込まれます。とても上手い演出だと思います。

僕は「プレイヤーと自分を同一視しない」と書きましたが、そうは思っていても、やっぱり脳の深いところではそれに近い感覚でギャルゲーをプレイしていたのだと思います。

ベビースキーマ(赤ちゃんの特徴)のフル活用

ベビースキーマがふんだんに盛り込まれてることで、ギャルゲーのキャラクターは脳をハックできるくらい「愛おしい存在」になっている感があります。

ベビースキーマとは、赤ちゃんが持つ体の特徴のことです。一般的に、人間はこういった特徴を持つ存在を愛おしく思うように遺伝的にプログラムされています。このことはギャルゲーに限らず、様々なシーンで有効に利用されています。例えば下記のような特徴がそれに当てはまります。

・大きな目(ギャルゲーのキャラはとにかく目が大きい)
・顔のパーツが、顔の下半分に集中している=頭が大きい
・鼻や顎といった「いかつさ」の象徴がデフォルメで省略されている(アニメ絵の鼻は点でしかなく、アゴは鋭く尖っている)
・頭の大きさに対して肩幅が異常に狭い

ベビースキーマが最も極端に利用されたコンテンツが、まさにギャルゲーのキャラクターデザインだと思います。それに加えて大きな胸や細い手首や足首といった都合のいいデフォルメも施されているわけですから、そりゃ可愛く見えて仕方がありません。ここまで理想的なデフォルメを施されたコンテンツは、我々の脳をハックできるくらい魅力的なものといっても過言ではありません。

(ここは根拠がやや曖昧ですが)今生きている人間の体や脳のあり方は、およそ10万年前に形作られたときからほとんど変わっていないと言われています。10万年前、人間はまだ狩猟採集民族でした。農耕が始まったのはたった1万年前です。つまり、僕たちの脳のあり方(受け取り方)は10万年前から変わっていないのです。技術だけ急速に進歩した結果生まれたギャルゲーのキャラデザは、そういった「古い脳」を圧倒する力を持っていたとしても何ら不思議ではありません。

それゆえ、ハリー・ポッターのような映画では平気だった物語の終了やその先がないという事実にも、より強く反応したのではないかと考えています。

仮説4:2周目以降のゾンビ化現象説

僕がギャルゲーが出来なくなった時に感じた「独特な感覚」の1つとして、キャラクターたちの事実上の「死」というよりは、それ以上に奇妙な何かに通じる感覚がありました。

映画でもギャルゲーでも、用意されたシナリオが終わればそこが終着点です。その先はありません。

ギャルゲーを全ルート・全エンディングを見終わったとしても、別にデータが消えるわけでもなければ、リプレイできなくなるわけでもありません。なので、表面的かつ物理的に考えれば「またいつでもその世界に没入し直せる」と言えなくもありません。

しかし、何度でも繰り返せるというその事実がむしろ独特な悲しさや喪失感を生む一因になっていたように思うのです。なぜなら、2周目以降で再び僕の前に現れたキャラクターたちは、強い言葉を使うなら「ゾンビ」であるように、僕の目には映ったからです。

僕は例の18歳の頃、2周目をプレイすることは一度もなかったように思います。その理由は、2周目でキャラクターが同じことを話すのを見たくなかったから。2周目でキャラクターたちが発するのは、1周目と同じ内容です。ゲーム自体はいつでも何度でも出来る。でも、そこにいるのはもう、かつての生きているように見えたキャラクターではない…。だからこそ「クリアすること」が怖くもなるし、だったらもうそもそも最初からプレイしようとも思わなくなりました。

しかしこれとてハリー・ポッターなら気になりません。なんなら繰り返し観て楽しんでいるくらいです。するとやはり、ギャルゲー特有のUIと仕組みが、没入感を高めすぎていた、というか僕が感情移入しすぎていたのだと考えています。

さらに言うなら、そういったゾンビ化した状況を作り出したのは他ならぬ僕なのです。クリックして時間と展開を進める、その進行役を務めたのはプレイヤーである僕です。勝手に2周目に突入したのではなく、そこまで物語を進めたのが自分であるがゆえに、より一層胸が締め付けられるような感覚を覚えました。


半分似ている話として、ペットとの別れがあります。僕はこれまで、実家にいた犬2匹の死を見てきました。どちらも寿命を全うするまで生きましたが、それでも死はとても悲しく、今でもよく思い出して胸が締め付けられます。

その2度の死を経験した今となっては、僕はこれからどんなに余裕がある状況になっても、生き物は飼わないと固く決めています。なぜなら、別れの悲しさに耐えられないから。これもギャルゲーをやらなくなったのと半分似ていると思います。終わりやそれ以後の状況に耐えられないなら、そもそもの最初からやらない。

犬は死んだらもう二度と会うことはできません。亡骸を火葬場に運んで物理的な最後を見届けたがゆえに、なおさらそう思います。もうどこにもいないのです。

しかし、ギャルゲーのキャラクターは?もう終わったはずなのに、リプレイによってなまじ会えてしまうがゆえに一層奇妙に感じるのです。

結論

以上が、ギャルゲーをやらなくなってから10年以上経った時点で僕が振り返って分析した内容になります。やはりあの独特の喪失感の原因を1つに絞り込むことは出来ないように思います。確かに一言で言えば、「ゲームの世界に没入しすぎていたから」と表現することも出来はしますが、そこにはとにかく様々な要因が絡んでいます。

ここまで書いたら流石に誤解はないと思いますが一応書いておくと、ギャルゲーというコンテンツに価値がないと言っているわけではありません。むしろその逆です。僕のように感受性が高く、その世界に没入しやすい人間にとっては、ある意味で「楽しすぎた」のかもしれません。だからこそギャルゲーにおける喪失感の思い出は、今でも胸に残っているのだと思います。

「好きなのにやらなくなった、やれなくなった」なんてものは、これまでの人生を振り返ってもギャルゲー以外になかなか思い浮かばないのです。好きだったらやればいい。好きじゃなかったらやらなければいい。大体のことはそれで済みますが、ギャルゲーだけはそれに当てはまりませんでした。本当に不思議です。

ギャルゲーにハマってから出来なくなるまでの時期、僕は18~19歳でした。しかし振り返ってみても、年齢はあまり関係ないように思います。

当時の僕は確かに今に比べると何もかもが新鮮に感じられ、感受性が人生の中でも特に高い時期だったのかもしれません。志望校に合格し、望んだ学生生活を送り始めた僕はまるでスポンジのように色々なものを純粋に吸収していました。それは事実。

しかしそれから10年以上の時を経てこの記事を僕は書いているわけですが、当時の感覚を僕は自分でも不思議なほど鮮明に思い出すことが出来ます。本当に奇妙な感覚なのですが、ずっと昔のことを書いているのに、まるで昨日の思い出のようでした。つまり、感じ方の強さは変わっているかもしれないけど、根本は全く変わっていないということです。別に今からギャルゲーを敢えてプレイして、何かを検証しようという気は一切ありません。たぶんまた辛くなるだけだという未来が今から見えているからです。なんならもう想像しただけで辛くなる!

ギャルゲーをプレイしてこんなことを考える男性が世の中にどれだけいるのかは分かりません。そしてそもそも「ギャルゲーをプレイした後の独特な物悲しさと喪失感」についてこれだけの文量のブログ記事にして議論しようなどと思う人間は、世界でおそらく僕だけでしょう。


ちなみに冒頭にも書いたとおり、ギャルゲーのことを思い出したのは最近2Dアバターを自作し始めたのが最初のきっかけでした。人生どこで何がどう繋がるか、分からないものだと実感します。

作品↓

【関連】2Dアバター自作プロジェクト(2)全身版

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2Dアバター自作プロジェクト【OpenCanvas+Live2D】https://fragments-t.com/2026/09/creating_2davatar_1.htmlSun, 27 Sep 2026 01:39:59 +0000https://fragments-t.com/?p=14615

VTuberが用いる2Dアバター的なものを自分で作ったら面白そう、と思って手持ちの機材とソフトで作ってみました。その備忘録的な振り返りです。 試作品として出来たものがこちら↓ 使用機材とソフト ペンタブ:XPPEN De ... ]]>

VTuberが用いる2Dアバター的なものを自分で作ったら面白そう、と思って手持ちの機材とソフトで作ってみました。その備忘録的な振り返りです。

試作品として出来たものがこちら↓


使用機材とソフト

ペンタブ:XPPEN Deco 01 V2

5,000円で買えるペンタブ。ド素人の自分にとっては不満なく使えている。

【関連】【XPPEN Deco 01 V2レビュー】初心者が使うには十分すぎるペンタブ

 

イラストソフト:OpenCanvas v7

上記のペンタブにバンドルされてついてきたお絵かきソフト。アップデートは2017年で止まっているものの、基本的な機能に限れば問題ない。

 

リギングソフト:Live2D無料版

Live2Dは無料版だと色々な制限があるものの、簡単な作品は作れる。

 

ビューワー:VTube Studio

カメラ映像からトラッキングしてアバターを動かしたりできる。Steamから無料で使える。カメラはLogicool C270でも大きな問題なく使えた。


PCと周辺機器を除いて、お金がかかった機材やソフトはペンタブとWebカメラだけでした。(アバターを作るだけならカメラはいらないけど)

なので現状としては、あまりお金をかけずとも2Dアバター自作という創作活動を行うことは十分できる印象です。

ここで一番ボトルネックになり得るのはLive2D無料版の制約だと思います。複雑なアバター製作を突き詰めていくとどこかのタイミングで機能の制限に引っかかるはずです。

例えば、僕が試作品として作ったシンプルなアバターでさえも、2000px四方という制限はやや窮屈でした。イラスト自体は無制限の画像サイズで描けるのですが、それをリギングの世界に持ってこようとすると、サイズ制限で引っかかります。
(確かインポート自体は出来ても、保存が出来ないといった制限があったはず)

僕は描画範囲が狭かったこともあって2000px四方でも問題なかったものの、このサイズ内で全身を細かく編集するのは厳しそうだと感じました。実際やってはないので分かりませんが。

そういうわけで、ガチでやろうと思ったらLive2D有料版はほしくなる絶妙な制限のバランスという印象でした。

ここまで奥が深い創作活動が出来ると考えれば、単月サブスク代の約2,200円は決して高くないと思います。要は、お試し感覚なら無料でも全然問題ないし、反対にガチでやりたい人にとっても2,200円の価値は十分あると個人的には感じた、ということです。


2Dアバターを作ろうと思った経緯。

上記のようなアバターを作る前は、ペンタブで一般的なデジタルイラストを趣味でぼちぼち描いて、練習していました。

それはそれで楽しかったのですが、最近のAI生成の超高品質なイラスト全般を目にするたび、「これを自分が描く意味があるのか?」という違和感を覚えていました。

最近のAIは本当にすごくて、これまでに存在してきた神絵師の何万枚ものイラストから学習して、ぶっとんだイラストを生成できます。それってもう人間が描ける理論値みたいな作品なので、要は同じ軸で考えたらその先にはもう何もない、頂点みたいなレベルなわけです。それと戦うつもりがあったわけではないのですが、モチベーションがやや下がっていたのは事実。

まあ趣味のイラストは完成品よりもそこに行き着くまでのプロセスを楽しむみたいなところがあるので、完成品で競い合うのはナンセンス。でもやっぱりこの状況下でただ描くだけなのは味気ない。

 

そんなときふと気になったのが、イラストの先にある「リギング」の技術です。つまり、Live2Dのような、イラストをメッシュ化して移動・変形させることで、キャラクターの動作を2次元平面上で擬似的に実現する技術。分かりやすく言えばVTuberのあれ。

自分が持っている機材で試せると分かって実際に上記の試作品を作ってみたのですが、これがなかなか面白い!

イラストを描くまでは、良くも悪くもこれまで通り。個人的には普段描かない画風のイラストに挑戦したことも楽しい体験となりました。

その後、自分が長い時間をかけて描いたイラストがLive2Dのエディター上で動き始めたとき、イラスト製作では味わえない、何か別種の面白さや達成感がそこにはありました。僕がLive2Dで実装したのはまだ初歩の機能だけですが、それでもただのイラストとは一線を画する雰囲気を持ち始めたように感じます。

そうして一度自分で紛いなりにも試作品を作るという経験をして、それから世のアバターをもう一度眺めてみました。すると、「これ相当手間かかってるな」とか「よくこんなの作れるな」といった、作る側目線の感想も生まれてきます。これも新鮮な体験でした。

ちなみに商業的なアバターの相場はピンキリですが、安いものだと数万円から、果ては数百万円の特注品も存在するみたいです。トップレベルの技術を持った人たちに依頼するならそれくらいかかってもおかしくないと今は思います。本当に奥が深い領域なんだなと。


個人的にこういったどこまでモチベーションが続くかは不明。ただ1つ確かなこととして、家で出来る創作活動として2Dアバターはかなりやりがいのある新しい領域だと気づきました。

デジタルイラストを描くというスタンダードな創作がベースとなりつつも、その先にあるリギングはまた別の技術が要求される世界です。どれだけ習熟しても終わりはないと言えると思います。

現状、この手の技術はVTuberの分野で最もポピュラーだと思います。しかし個人的には、これからVRや2Dゲームの分野でもさらに活用されていくんじゃないかなと予想しています。つまり今後もさらにアツくなっていきそうな技術領域だということ。

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【GrimDawn】FoA版ビスミールセット・ペットカンジュラー(ビルド紹介)https://fragments-t.com/2026/09/grimdawn_foa_bysmiel_conjurer.htmlSat, 12 Sep 2026 01:44:30 +0000https://fragments-t.com/?p=14611

エンドコンテンツのネタバレを若干含むので注意 V1.3.0.8対応 FoA導入後にGrimDawnでプレイしたビルドの紹介&備忘録です。そんなに深いことは書いていません。 コンセプト ・FoA環境となった今、改めてビスミ ... ]]>

エンドコンテンツのネタバレを若干含むので注意

V1.3.0.8対応

FoA導入後にGrimDawnでプレイしたビルドの紹介&備忘録です。そんなに深いことは書いていません。

コンセプト
・FoA環境となった今、改めてビスミールセットを使ってカラス主体のペットビルドを作りたい
・新ヘルメット「Eyes of Mogdrogen’s Chosen」で白狼も召喚したい
・操作はなるべく楽をしたい
・ドレッド(アセンダント)、魂のラヴァジャー(アルティメット)を倒したい

【GrimToolsリンク】https://www.grimtools.com/calc/2jBKB0j2

現環境で強いビルドを作るというより、自分が実現したい条件から逆算してビルドを組んでいくという方針でプレイしました。カラスが現環境でどれくらい使い物になるのか試すのが主な目的。

ペットボーナスを内包し、カラスの雷属性にもシナジーを持つのはシャーマン。というわけでオカルティスト×シャーマンのカンジュラーが無難と判断しました。

自分の知識不足によりまだまだ改善の余地がありそうですが、当初の目標は達成できたのでとりあえず完成とします。何をもってビルドと呼ぶかは人によるとは思いますが、Ultラヴァジャーを倒せれば一応最低限の形にはなっていると判断しました。

Ascended Affixはまだほとんどつけていないため、その分の伸びしろはあります。ただしペットに有用なAffixを引くのは大変だと感じました。


先にショーケースから。大した内容ではないですが、アルティメットでの魂のラヴァジャー戦の動画を用意しました。

プレイヤースキルは控え目に言って最悪ですが、この動画では1分15秒以内には倒せていると思います。ただしヘイトの向き具合などによってクリアタイムはそこそこ変わる印象です。これは上振れた(早く倒せた)方でした。

これとは別に、アセンダントの祭壇なしドレッドも倒せます。ただし地形、デバフ床と相手の回復攻撃の回避など、クリアタイムに与える要因が多いと感じました。広くて戦いやすい地形であれば戦闘もスムーズですが、その逆もまた然りです。


このビルドの核となるのはカラスを2匹召喚できるようになるビスミールセット(Bysmiel’s Trinkets)です。現環境(FoA発売後のv1.3.0.8)でカラスがどれほど優位性があるのかは分かりませんが、それは関係なくとにかくカラスを使ってプレイしたいというのが一番。単にメタを追いかけるよりも、やりたいことをやるのがやっぱり一番楽しいと個人的には思います。

このセットはけっこう変わっていて、部位がリングx2、アミュレット、メダルの4箇所となっています。多くのセット装備は頭を占有しますが、ビスミールならそこが空きます。

そのため、FoAで追加された新ヘルメット「Eyes of Mogdrogen’s Chosen」と共存することが出来ます。これはかなり面白い組み合わせだと思いました。頭を含むセット装備を使う場合、この装備と一緒には使えません。

このヘルメット単体で召喚できるようになる白狼は、デフォルトで物理・雷の攻撃を行うので鴉主体のビルドと相性が良さそうだと判断しました。しかも耐性下げ(-X%)とDAを下げる効果も持っていてなかなか優秀です。

これら「ビスミールセット」と「モグドロゲン頭」がビルドの軸となります。あとはシナジーがありそうなものを適宜採用していく形となります。

ただしこのヘルメットはスーパーボスであるFoAエリアのモグドロゲンの化身を倒さなければいけません。

スーパーボスの中ではかなり倒しやすい部類であるため、入手難易度はそこまで高くないと思います。ただし今回紹介するビルドの未完成なバージョンで挑むのは力量的にも属性的にも厳しいかもしれません。

僕は下記のような未完成のネタビルドでFoAモグドロゲンを倒すことが出来ました↓。コンポーネントも付け終わっていない中途半端な状態です。とはいえこちらもペットビルドであるため、本体が死なない限りダラダラ戦い続けられる点は有利だったとは思います。

【GrimToolsリンク】https://www.grimtools.com/calc/ZoXGp9oN

ちなみに肩にもACT3エリアのモグドロゲンから手に入る装備を使っています。こちらはFoAの方よりも一回り弱い印象でした。


当面の完成形としては、レアを含まずレジェンダリーのみのビルドとなっています。

こうなった理由の1つとして、メインスキルとなるサモンファミリア(カラス召喚)に影響するMI品がゲーム内に少ないという点があります。そういったMIは一応あるにはあるのですが、今回のビルドに噛み合うと思われるものは一つもありませんでした。

ヘルハウンド(犬)の方は汎用性の高いMIがやたら充実している印象なのですが、なぜかカラスはそうでもありません。現状のゲームの仕様として少し不思議に思っています。


耐性下げについて。

スタックしないX低下タイプはエレメンタルストームで-32あります。

スタックする-X%低下タイプは、
・カース・オブ・フレイルティ(オカルティスト)
・ウインド・デビル(シャーマン)
・アルケイン・ボム(星座スキル)
・白狼(頭装備のペット)
の4つがあります。

スタックしない-X低下タイプはありません。


強敵相手の戦術として、ウェンディゴトーテムが意外と重要だと思いました(モブ相手には全くもって不要)。前述のToolsではたった1ポイント振っているだけですが、強敵相手ではこれのあるなしでけっこう変わります。

というのも、このゲームでは自分にしろペットにしろ、いかに死なずに張り付きながら殴れるかが重要だからです。トーテムの範囲内で敵を殴る度にペットも回復するので、継戦能力が一段と高まります。もう少しポイントを振るのもアリかもしれません。


星座は色々試しましたが、一概にどういう形が正解とは言えないと思います。

今回のこだわりポイントとしては、耐性X低下の手段としてエレメンタルストーム(南東方向、王冠の星座スキル)は取りたいと思いました。戦闘時にペット自身の攻撃で確実に発動する点や、値の大きさ、範囲攻撃に使える点などがやはり総合的に便利だと思います。個人的に好きな星座です。
(耐性X低下のネイチャーズ・ガーディアンは自分が殴られないと発生しないので、強いとは思うけどあまり好きではない)

すると緑ポイントが盛れてくるので、コルヴァークの目(真北方向、コルヴァークの星座スキル)も採用しました。これも個人的に挙動が好きなスキルなのと、道中でもらえるパッシブも強いと感じます。

反対に、生命の樹(北北東)は目指さないことにしました。(気になってこれを取るパターンと取らないパターンを色々試した)。

(今回は検討していませんがイシュタークと両取りしやすく)耐久性が上がるのが魅力ではあります。しかし、生命の樹を取ると結局火力が一段階下がる印象です。攻撃と防御のトレードオフなのでどっちがいいという話ではありませんが、今回は攻撃面を優先しました。

今回は操作で楽をしたいビルドなので、アクティブスキルをなるべく少なくしました。なのでアクティブスキルを増やして、そこに星座スキルをアサインするなどの変更を加えれば、もっと火力が出るかもしれません。


総括

FoA以前の段階で同じようなビスミールセット主体のビルドは組んだことはあったのですが、今回このような形でやり直してみました。微調整を行えばもっと上を目指せるのかもしれませんが、とりあえずこれで一応の完成としました。当初の小さな目標(Ultラヴァジャーなど)も達成できたのでやってよかったと思います。

FoAで追加されたモグドロゲン頭は、このビルドに手を付けるモチベーションになりました。手に入れる難易度は易しくないものの、これ1つで強力なペット一体追加はいくらなんでも強すぎると思います。ペット好きなら一度は使う価値があると思いました。

今回僕が組んだビルド構成だと全身レジェンダリーなので、気軽に再現しやすいと思います。メイン・オフハンドに至っては派閥品なので入手自体は確実です。ただしビスミールセットには設計図がないため、(変換前提で)4つどれかをドロップで手に入れる必要はあります。

【GrimToolsリンク】https://www.grimtools.com/calc/2jBKB0j2

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GrimDawn 異なるセーブデータ間のキャラクター移動についての備忘録https://fragments-t.com/2026/09/grimdawn_savedata_character_move.htmlSat, 05 Sep 2026 11:38:17 +0000https://fragments-t.com/?p=14605

GrimDawnのセーブデータの扱いに関する備忘録。 異なるセーブデータ間のキャラクターの移動方法などについて主にまとめています。ただし、失敗するとキャラクターやスタッシュ内容のロスが起こる可能性もあるため、参考にする際 ... ]]>

GrimDawnのセーブデータの扱いに関する備忘録。

異なるセーブデータ間のキャラクターの移動方法などについて主にまとめています。ただし、失敗するとキャラクターやスタッシュ内容のロスが起こる可能性もあるため、参考にする際は自己責任でお願いします。

実際起こったこと↓
・PC新調後にFoAで復帰。以前からGDIAを使用。
・その後、間違って古いセーブデータで始め、80時間くらいプレイ

・その後、本来いるはずのキャラクターや共有スタッシュ内の資産の一部がないことに気づく
・ローカルとクラウド、及びバックアップの新旧合わせて3つのセーブデータが混在していることに気づく
・その後、ローカルデータに全てのキャラクターと一部のアイテムを統合できた(一応解決)

言うまでもないことですが、この記事では「自分が入手していない装備をデータ移動で手に入れる」ことや、「既に入手したアイテムや既存のキャラクターを複製する」ことを目的とはしていません。意図せずにクラウドやローカル、あるいはバックアップ間に分散してしまったキャラクターや資産を重複無しで統合することを目指します。

前提知識と準備

セーブデータ間のキャラクター移動は、ローカルセーブデータでしか出来ない模様です。よって、ローカルのデータ(環境)にキャラを統合させていくことを考えます。
(クラウドにキャラを移す方法もあるかもしれないが、難易度が高いと判断。最終的にローカル環境に固定することにしたので試しはしなかった)

まず、クラウドとローカルのセーブデータの場所を確認します。デフォルトでは下記のようになっているはず↓

・クラウドセーブデータ
[Drive]:\Program Files (x86)\Steam\userdata\[数字]\219990\remote\save
(このフォルダをいじっても、クラウド上のセーブデータには直接影響しない模様)

・ローカルセーブデータ
[Drive]:\Users\[ユーザー名]\Documents\My Games\Grim Dawn\save
以下ではここを適宜、ローカル環境と呼ぶことにします。

僕の場合、これらの他に古いセーブデータのバックアップファイルも存在していました。

色々作業を始める前に、手元にある全てのセーブデータのバックアップをもう一度ずつ取り、フォルダ名もきちんと分かりやすく変更しておくこと。もし分かるなら、それがいつの時点のデータか(何年何月何日)をフォルダ名に含めておくと確実です。

作業では主にファイルやフォルダの移動を行うことになるのですが、GrimDawn自体は起動していない状態で行います。


キャラクター移動の必要に迫られたユーザーはおそらく、クラウドとローカルで全く別な、あるいはかなりプレイ時間が異なるデータを2つ以上持っている状態だと思います。

そこでまずは、「どのセーブデータを移動先にして最終的に使うか」を決めます。僕の場合、作業直前までクラウドでセーブしていたデータを移動先にしたい状況でした。なぜなら、それが一番新しいデータだったから。

この時点では、まだ決めるだけです。

クラウドセーブをOFFにする

前述のとおり、キャラ移動はローカルで行います。よって、デフォルトでは利用することになっているクラウドセーブ機能を無効化します。具体的にはSteam上とGrimDawnゲーム内の両方でクラウドセーブを切ります。

 

SteamのGrimDawnプロパティでクラウドセーブを切れます。

 

GrimDawnのゲーム内でもクラウドセーブを切る設定があります。これが一番優先されるように見受けられました。「適用」をクリックするのを忘れずに。

この他にSteam全体でクラウドセーブを無効化する設定もあるのですが、それを使うと他のゲームでクラウドセーブが使えなくなります。なので今回はSteam全体ではクラウドセーブは有効としておきました。

クラウドセーブを無効化することにより、ゲーム開始後はローカル(My Games配下)の方のセーブデータの方が参照されることになります。

移動元データの共有スタッシュの中身をGDIAに移す

キャラクター移動の前に、共有スタッシュの中身をなるべく統合することを目指します。

キャラのデータは\save\main配下にあるのですが、共有スタッシュのデータは/save配下にあるようです。

おそらくまともな方法では、共有スタッシュの中身までファイル操作で統合するのは無理だと判断しました。ただ、GDIAのような外部スタッシュを利用すれば、装備品に限り移動できます。

【リンク】GrimDawn Item Assistant

GDIAではStackable(スタック可能)なアイテムは保存できません。コンポーネントや素材など。今回の作業では、これらの移動は諦めることにしました。
(というか今回の場合、統合したいいくつかのデータは途中までは同じデータだったわけで、もし素材まで統合するとアイテムが本来より増える可能性があった)

どうするかというと、まず、最終的に使わない「移動元saveデータ」をローカルに配置します。これにより、クラウドセーブを切った今、グリドンを起動するとこのセーブデータが読み込まれます。

同時に、GDIAも起動しておきます。

この状態で適当なキャラクターでゲームを開始し、共有スタッシュ内の移動できるアイテムだけGDIAに放り込みます。ただし、移動元と移動先で同じアイテムがあることに気づいたら、それらは重複しているため、触らないのがいいでしょう。
(僕の場合、ローカーセットのような育成用装備がまだ揃っていない相当古いデータでFoAを始めてしまったので、これらを失うのはやや痛手でした)

この作業ではキャラクターはそのままですが、共有スタッシュの中の移動できるものだけGDIAに移動できた形になります。

最終的に使いたいsaveフォルダをローカルに配置し直す

この時点では、最終的には使わない移動「元」saveフォルダがローカルに配置されています。

これを削除するか、フォルダの名前を適当なものに変えたりして、ゲームで読み込まない状態にします。

その後、最終的に使いたい移動「先」saveフォルダをローカルに配置します。これでキャラ移動の準備が整いました。

キャラクターフォルダの移動

グリドンでは、キャラクターのデータは~\save\main配下のフォルダとして管理されています。キャラクターの名前がフォルダ名になっているので分かりやすいです。

移動方法は簡単で、このフォルダを移動先のsave\main配下にコピペするだけです。反対に、ここでフォルダを消せばゲーム内でもキャラが消えます。

(もちろんクラウドセーブOFFの状態で)キャラのフォルダを移動してからゲームを起動すると、そのキャラがメインメニューで選べるようになっているはずです。

僕の場合は、バラけていたキャラクターのデータをこういった作業で統合することが出来ました。バラけてしまった複数のセーブデータ(saveフォルダ)がきちんと手元にあるなら、再現性があると思います。

今回の教訓

以上が、僕が実際に行ったキャラクターと資産の一部の統合方法の備忘録となります。

最初にも書いたとおり、FoAで復帰後に意図せずセーブデータが分散、というか変なタイミングで分岐してしまいました。古いデータで始めてしまったことや、クラウドとローカルの区別を意識していなかったことにより、そこそこやり込んだキャラクターが失われ、資産の一部も一時的になくなっていました。

しかしバックアップだけはしっかりと取ってあったため、必要なsaveフォルダは見つかりました。後は上記の方法でキャラと資産と統合したという形です。

ちなみにGDIAのバックアップにはローカルのセーブデータも保存されています。僕が利用したバックアップファイルもここから取り出したものでした。(GDIA万歳!)


ではこれからどうするかというと、GrimDawnでは基本的にはローカル環境でプレイを継続することにしました。Steamの他のゲームでは基本的にクラウドセーブを使っていて問題はないのですが、グリドンでは使いません。

GDIAはないとゲームが成立しないレベルなので使います。

グリドンのセーブデータとGDIAはこれまでの資産ともいうべき、失いたくないデータです。本来であればクラウドセーブのような機能を使って自動でバックアップを取るのが便利。実際、同じPCで同じ設定でプレイし続けている限り、クラウドでも問題ないと思います。

ただ今回のようにPCを新調したりクラウドとローカルの設定を変更したり、といった環境の変化によって、また同じようなことが起こるのが個人的には心配になりました。というのも、FoA発売後数年ぶりにグリドンを再開した時、「以前どんな環境(クラウド?ローカル?)でプレイし、いつどこにどんなバックアップを取っていたか」はけっこう忘れてしまいがちです。(今回で言えば、一応バックアップファイルはしっかり取ってGoogle Driveに保管していたのですが)

そういうわけで、一番分かりやすい形として、純粋なローカル環境でプレイを続けていくことにしました。頻繁にプレイしている間は資産やキャラの情報が変わっていくため、週1くらいのペースでゲームとGDIA全体のバックアップを取り、Google Driveなどに分散して保管する予定です。面倒ですが、一番ミスがなく、分かりやすい方法だと思います。グリドンを頻繁にプレイする時期が過ぎたらバックアップを取る必要もなくなるので、ずっと続ける必要もありません。

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