モッチーブログhttps://fragments-t.comFri, 22 May 2026 04:02:53 +0000jahourly1https://fragments-t.com/wp-content/uploads/2023/08/cropped-blog-icon-32x32.pngモッチーブログhttps://fragments-t.com3232 オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」読書メモhttps://fragments-t.com/2026/05/bravenewworld_memo.htmlThu, 21 May 2026 12:33:40 +0000https://fragments-t.com/?p=14478

オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」を10年ぶりに再読しました。テーマ自体は覚えていましたが、詳しい内容はびっくりするくらい忘れていました。というか、当時はどういう問題を扱った小説なのか掴みきれておらず、それゆえに ... ]]>

オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」を10年ぶりに再読しました。テーマ自体は覚えていましたが、詳しい内容はびっくりするくらい忘れていました。というか、当時はどういう問題を扱った小説なのか掴みきれておらず、それゆえに記憶にも残りづらかったのだと思います。

この10年の間に他の小説を読んだ後だと、重複するテーマに気づくことで「これはあの問題について言っているのか」みたいに理解できることがあります。そういう気づきもあって、前回の「華氏451度」のときと同様、10年ぶりに再読した今回は割と手応えがありました。


すばらしい新世界、1984などのディストピア(ユートピア)系の小説は、

・国家運営の視点:人間の社会はどうしたら上手く回っていくのか
・個人の視点:個人はどうしたら幸福な人生を送れるのか

という2つの視点から読むことが出来ると思います。特に後者の視点はカラマーゾフの兄弟の大審問官にかなり近いテーマだと思います。
(というか世界統制官とジョンの一対一の会話はまさに大審問官を下敷きにしているでしょう)


まずは前者、つまり国家(社会)を上手く運営していく視点について。

すばらしい新世界を読んでいくと、著者が社会の安定に必要な要素として何を考えているかが見えてきます。ここで全て列挙し尽くすことは出来ませんが、例えば下記は分かりやすい要素だと思います。

  • 階級制度(アルファ、ベータ、ガンマ、エプシロン)
  • ソーマ(一応副作用のないアルコール、ニコチン、カフェイン的なもの)
  • 成長過程における条件付け(価値観の植え付け、適材適所)
  • 優生学
  • 大量生産・大量消費

個人的には、正直認めたくない、考えたくないものもあるなと思いました。

例えば階級制度について言えるのは、要は皆が平等だと社会は上手く回らないということです。実際小説内でも、アルファ階級だけを22000人集めて島で国家を運営させたら崩壊して19000人が殺されたという事件が描かれていますよね。現代においては自由や平等に高い価値が置かれていて、それを社会で(少なくとも表面的には)実現していこうとしていたり、個人の方でも「自分は自由でありたい。不公平なシステムのもとで少なくとも損はしたくない」と思っているように見えます。

しかし著者的にはそれだといつまで経っても社会は安定しないと考えているようです。これは正直僕も同感なところがあります。というのも、個人の幸福と社会の安定は必ずしも一致するわけではないと思うからです。社会を安定させようとすると、個人の利益が犠牲になる。反対に、個人の幸福を追求すると今度は社会が安定しない。このミスマッチは避けて通れないものと考えています。現代でいえば、少子化はまさにこのジレンマによって必然的に起きた現象であると僕は考えています。

そこで社会と個人の両方の利益を科学の力で同時に追求しようとしたのが、素晴らしき世界で描かれているユートピア(あるいはディストピア)社会なのだと僕は理解しました。つまり、これが著者なりの「落としどころ」というわけです。

本来不平等以外の何物でもない階級制度も、条件付けによって人々の中で正当化出来ます。アルファはベータ以下のようにはなりたくないと思っていますが、反対にベータもベータ以外にはなりたくないと思っています。これは条件付けによってそういう思考回路が埋め込まれているからです。ここがけっこうぶっとんだ手法ではあるのですが、その反面、個人的に腑に落ちる部分でもありました。というのも、「人間は思い込んでしまいさえすれば、どんなことでもやってのける生き物」だと僕は常々思っているからです。小説内の条件付けのようなことが現実に可能かはさておき、もしも「人々に特定のことを確実に思い込ませる」ことが可能であれば、それは社会と個人両方の利益を同時に追求する鍵となるでしょう。

他にも、「人生で降りかかる理不尽に対して、現実を忘れさせてくれる何かがないと人間はやっていけない」からこそソーマのような強い気休めが必要という点も、とても説得力があると思いました。なぜなら、現代人もアルコール、ニコチン、カフェインなしでは生きられないからです。つまり「理屈抜きでスッキリさせてくれる何か」を人は常に求めるということです。あまり考えたくないことですが…。


上に挙げた2つの視点の中では、個人的にはどちらかというと僕は後者、つまり「個人の視点」の方に興味があります。個人にとってのユートピアはどのようにして実現されうるのか。

類似するいくつかの小説の内容を総合すると、結局のところ、人間は幻想の中で安心しているのが一番幸せであるというのが1つの見方であり、僕自身、とても説得力を感じています。

これは映画「マトリックス」のテーマと同じだと思います。モーフィアスはネオに「ここは仮想世界だ」と告げた後、2つの薬を提示します。1つは、いつもどおりの仮想世界という幻想の中で目を覚ます薬。もう1つは現実で目を覚まして機械との戦争を選ぶ薬。

カラマーゾフの兄弟の大審問官とも非常に近いテーマだと思います。パン(安心)と自由、どちらを取るか。

【関連】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟読書メモ①)

 

すばらしい新世界で例えるなら、次のどっちを選ぶのがよいでしょうか。これは面白い問いだと思います。

1.科学的手法で条件付けされた幸福な人々

2.不完全な条件付けで苦しむバーナード、人間らしさを尊重するジョン

 

1984的には次のようになるでしょう。

1.二重思考をすんなり受け入れて管理社会に適合する人々、完全に構造の内側で生きるプロールたち

2.二重思考を受け入れられず真実を見続けようとするウィンストン

 

もし選べるなら、どちらの場合でも僕は前者を選びます。前述のマトリックスの薬の場合も、僕なら仮想世界で過ごす方を選びます。選べるならですけどね。

なぜ前者を選ぶのか。それは既に書いたとおり、やっぱり人間という生き物が真の幸福を実現できるとしたら、それは非合理的ストーリーの内側以外あり得ないと思うからです。これについては議論の余地が大いにあるでしょうが、僕はこのように考えます。これこそが、この不条理な世界における生存戦略の最適解だと思います。

すばらしい新世界を読むと、「確かにこの世界の人々は遺伝子レベルの規格化、条件付け、ソーマ、適材適所で幸福かもしれない。でもこれは偽物の幸福だ」と野蛮人ジョンのように否定したくなる気持ちは、多少はあります。そりゃ確かに、ソーマや二重思考なしに真実を直視し続け、個人としての幸福を得られればそれに越したことはないと僕も思います。(それで社会の安定も両立できるかはさておき)

しかし、現実問題として、この不条理な世界において常に真実だけを直視し続けて幸福を追求することなど可能でしょうか?いかなる幻想からも脱却し、真のメタ視点に立つことが出来ると仮定したとして、その視点を持ったまま幸福でいることなど可能でしょうか?

正直僕は無理だと思うんですよね。なぜならこの世界は本質的に不条理であり、人間という生き物はその不条理を直視できるほど器用に作られてはいないからです。


自分が実際に生きる社会と比べて、この「すばらしい新世界」という小説の世界をどう見るかは人によると思います。「こんな世界はイヤだ」とか「あながち悪くない」といった様々な感想が生まれうるという点で議論しがいのある本だと思います。

既に書いたとおり、僕はかなり肯定的な気持ちで読んでいました。僕はあくまで僕個人の利益を優先して考えているため、国家の安定という点は一旦置いておきます。ここで肝心なのは個人がの幸福をどう実現するかという問題です。その回答として、かなり不気味ではあるものの、本書の内容は鼻で笑い飛ばせないどころか、とても説得力がある内容だと思ったのです。

すばらしい新世界は、もちろん娯楽小説ではないので、読んでいて笑えるという意味の面白い小説では決してありません。それどころかむしろ、「本来考えたくないこと」について書いてあると言ってもいいかもしれません。想像するに、読んだらすごく気分が悪くなる人も少なくないでしょう。実際僕も本のテーマにとても興味はありつつも、「これを突き詰めて意味はあるんだろうか」と何度も自問しながら読んでいました。こうして読書メモを個人ブログに書いている今も、「これを考えたとて意味があるのか」と思ってます。というのも、これは現実には実現することもできない、どうしようもない、答えのない問題だからです。

とはいえ、そういう答えのない問題について考えられるのが小説という形式の面白いところだと思います。評論や論文だとそうはいかないですからね。


しかし、1つだけどうしても個人的に納得できないことがありました。それは、「そうまでして社会を存続させて何になるのか」ということです。これをこの小説が扱うテーマに含めていいかは疑問の余地がありますが、おそらく完全に0ではないと思います。つまり、著者としても、裏テーマとして考えてはいたんじゃないかなと推測します。

確かに、社会の存続についての懐疑まで考えてしまうと、もはや人間の営みの何もかもが崩壊します。しかし僕には、現実然り、すばらしい新世界の薄気味悪い社会然り、なぜ続けていかなければいけないのか分かりません。

結局のところ、人間社会はどう転んでもディストピアだと僕は思うんです。僕たち人間は自分が実際に生きている社会に比べて小説の世界を不気味だと思うかもしれません。しかし、それは僕たちが知らぬ間に条件付けされているからです。人は誰しも「自分はフラットに物事を眺めている」と思いがちですが、教育、文化、社会規範、既存の世代の人々、宗教、広告、アルゴリズム、ソーシャルメディアなど数え切れないものの影響を受けています。そもそも「普通」という認識自体主観的なものです。それゆえに、僕は小説の世界だけが特別ディストピア的だとは全く思いませんでした。

この手の小説を読んだり、そのテーマについて考える時に感じる虚脱感や諦念の理由は、まさにその点にあると思います。


すばらしい新世界を読む前はカラマーゾフの兄弟、華氏451度という似たような小説を立て続けに読んでいました。1984はこれまで何度も読んでいるので頭には入っているつもりです。

この辺りを一通り読んでおくとテーマとして重なる部分が多く、内容を掴みやすいと思います。未読の方にはそれぞれおすすめします。

ところで、訳者による解説を読んで初めて知ったのですが、オーウェルはハクスリーにフランス語を教わったことがあるそうで、要は(短い間であるかもしれないにせよ)生徒と教師の関係だったらしいですね。僕は1984を初めて読んだとき、「こんなんどうやったら書けるんだ?」と本当に理解不能でした。しかしハクスリーとの関係や、すばらしい新世界の内容を考慮すると、オーウェルとて完全に0から1984を書き上げたわけではないと言っていいでしょう。それから、すばらしい新世界もカラマーゾフの兄弟の大審問官にインスパイアされている部分がかなり重要なシーンになっています。カラマーゾフと1984は兄弟関係のような内容だと以前から思っていたので、点と点が一本の線でつながった感じがしました。

これにより、オーウェルが1984を書けたことや、カラマーゾフの兄弟との強烈な類似についての個人的な謎が解けた気がしました。やっぱりセットで読むといいでしょうね。

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産業キャプテン(Captain of Industry)クリア後のレビューhttps://fragments-t.com/2026/05/captain-of-industry-review.htmlMon, 11 May 2026 02:57:16 +0000https://fragments-t.com/?p=14459

工場ゲーム「産業キャプテン(Captain of Industry)」(以下、CoI)を一応クリアした記念としてレビューします。Update4時点の内容となります。 点数をつけるなら、個人的には90点以上にはなると感じて ... ]]>

工場ゲーム「産業キャプテン(Captain of Industry)」(以下、CoI)を一応クリアした記念としてレビューします。Update4時点の内容となります。

点数をつけるなら、個人的には90点以上にはなると感じています。特に不満という不満はなく、シンプルに加点法で高得点になった印象です。買ってよかったです。

確かに、工場ゲームの名作Factorioほど脳汁が出るかというと今一歩及ばないところはあります。しかしCoIでしか得られない栄養素があるのは間違いなく、後で書きますがこの作品独自の強みがたくさんあると思います。個人的にはここ数年で買ったゲームの中ではかなりのアタリと言って差し支えない完成度でした。

Steamにはアーリーアクセスでもたまーに隠れた名作があるわけですが、今回はまさにそれでした。EAとはいっても、2026年5月時点のUpdate 4の段階でもう製品版と言ってよいくらいのボリュームになっていると感じます。

ちなみに日本語タイトルである「産業キャプテン」は流石にダサすぎるので、普通に「キャプテン・オブ・インダストリー」とかにした方がいいと思います。たぶん日本人プレイヤーの90%くらいは思ってそう。

【関連】産業キャプテン イージー難易度クリアに向けたTips


CoIは見てのとおり工場を作るゲームで、FactorioやDyson Sphere Program(DSP)などとかなり近い内容となっています。それと同時に、副産物の処理や循環という点ではOxygen Not Included(ONI)とも似ています。僕はこれら3つのゲームがかなり好きで、それらと近いCoIのコンセプトは個人的にどんぴしゃと言ってよい内容でした。ある程度の面白さが約束されたジャンル、と言ってもいいかもしれません。

このように内容的にも好みであり、クリア時点の達成感も大きかったのですが、実は、クリアまでに何度も挫折と再開を繰り返していました。何ゲームやり直したか数え切れません。「このゲームは俺には難しすぎる」と思って本気でやめようと思ったときも何度もありました。

CoIはイージーでもカジュアルな難易度というわけではなく、かなり骨太に感じました。単にロケット打ち上げを1つのマイルストーンとするなら、(ゲーム理解度の差を考慮しても)FactorioよりCoIの方が難しいと思います。そんなわけで、ある程度のところまで進めては脳がオーバーヒートを起こし、「これはもうアカン」となって挫折というのを繰り返していました。

工場のグランドデザイン、ユニティの管理、リソースの生産と消費のバランス管理、開発のタイミングなどとにかくあらゆる試行錯誤を繰り返して、どうにかクリアまでこぎつけた形です。要領がいい人はもっとサクッとクリアできるのかもしれませんが、僕の脳のキャパではとても大変に感じました。ちなみに、イージー難易度でクリアした時点での「累計」プレイ時間は200時間くらいでした。


他の工場ゲームと比べてCoIの特徴を挙げるなら、副産物管理の大変さがあると思います。

最初はA+B→Cみたいな単純なレシピから始まります。しかし特に原油が絡むようになると一気に複雑になって、例えば

A+B+C→D+E+F

みたいなレシピが大量に登場するようになります。次のステップに進むためにリソースDが欲しい。でも、Dを作ると今は必要ないEとFも出てくる。なのでその処理も考えないといけない。

貯蔵庫を作っておけば時間稼ぎにはなりますが、最終的には使い道や出口戦略を考えないといけません。シンプルに廃棄するという選択肢もあったりしますが、それだと大体ユニティ(住民の幸福度的なもの)が下がるので、工場発展の障害になります。

レシピによってはこのように大量のリソースが絡み、特に副産物の存在が最初は本当に大変に感じます。しかし副産物を上手く循環させたり、無害化して自然に廃棄する仕組みをセットアップするのが面白いと感じました。今だから思うのですが、もしレシピがもっと単純だったとしたら、ここまで面白いゲームにならなかったと思います。

前述のとおり副産物という点ではOxygen Not Includedと似たところがありますが、副産物管理の大変さではCoIの方が圧倒的に上だと思います。

ただしCoIのコンベアやベルトはかなり融通がきくのとサイズが小さいのも相まって、無理やりあちこち繋げまくるみたいな力技もけっこう通用します。また、そういった自動輸送だけでなくトラックによる輸送も可能なので色々工夫しがいがあります。


住民の幸福度に相当するユニティ(Unity)というリソースは面白いアイデアだと思いました。副産物管理とも密接に関わる要素です。

ユニティはCivilizationのような4X系のゲームでよくある幸福度に近いもので、住民が喜ぶようなことをすれば増加し、その逆もまた然り。

副産物を管理するのは資源を循環させて無駄を減らす目的もありますが、半分はユニティ目的なところがあると思います。分かりやすいのは排ガスで、これを垂れ流すとラインは止まりませんが公害が発生します。するとユニティが減る。ユニティが減れば島外資源の開拓がしづらくなり、布告(ユニティを消費するバフ)も出しづらくなる。だから副産物をどうにかしようというコンセプト。

ユニティ管理の恩恵がとても大きいのが、やりがいに繋がっていたと思います。特に布告は強力なものが多いと感じました。副産物の管理がめんどいだけではなく、それに対してちゃんと報酬があるというのが上手いバランスになっていたと思います。


難易度について。最初にもちょこっと書きましたが、個人的にCoIはかなり難しい部類のゲームだと思いました。

僕が最初にロケットを打ち上げまでプレイしたのはイージー難易度での話なのですが、それでもけっこうキツイ。イージーだとリソース不足で工場が詰むようなことはまず起きません。個人的に難しいと思ったのは、やっぱり副産物管理で、とにかくプレイヤーの脳の負荷が大きくなります。

僕が何度も挫折した時は毎回、「大変すぎる」という理由で断念していました。しかし今から振り返ると、これはノウハウ不足によるところが大きかったと思います。グランドデザインも重要ですし、細かい部分で工場の安定性を高めるコツが色々存在します。それらを知らない段階では工場全体の効率が悪くなり、結果として「大変」だとか「難しい」という印象になります。

しかし、グランドデザインを見直し、細かいテクニックを習得していくと段々とプレイが楽になってきた感じがありました。最終的にはそれがある程度のレベルに達してクリアまでどうにかこぎつけたという感じでした。

一見するとよくある工場ゲームなのですが、細かいところにこのゲーム独自の難しさというか、工夫しがいのある部分が散りばめられているように思います。例えば、CoIでは建設や輸送をトラックが担当します。そのため、経路最適化という問題は最初から最期までついて回ります。これはOxygen Not Includedと似たところがあって、特に面白く感じました。他にも整地や遠征のタイミング、資源をどこから引っ張ってくるか問題、なるべくコンパクトなレイアウト…など、考えることが盛りだくさんです。だからこそ最初は難しいのですが、個人的にはとてもやりがいのあるチャレンジで、めげずにやってよかったと思います。


整地が面白い、というのは自分でも意外な感想でした。

このゲームでは地形が少しでももっこりしていると施設を配置できません。そのため、拡張したいエリアは予め整地する必要があります。ショベルカーで掘ったり、トラックで埋め立てたり。

一見するとものすごく地味な要素にも思えるのですが、やってみるとこれがけっこう面白い。海を埋め立ててスペースを確保する、埋め立てで道を作って別な陸地にアクセスする、山を超えるための坂を作る、地下に埋まった資源を掘り起こす、岩の上に土を敷いて農業が出来るようにする…などなど、整地と一言で言っても色々なやタイプがあります。

ぜんぜん違うジャンルですがValheimというゲームで整地がやけに面白かったのを思い出しました。個人的にツボな要素なのかもしれません。


個人的に、戦闘要素が実質ないという点も評価ポイントでした。

というのも、僕は工場ゲームは本質的にプログラミングゲームだと思っていて、戦闘要素は面白いとは感じないからです。なのでFactorioやDSPも基本的には敵がいない設定で遊んでいました。

このゲームには海上の戦闘要素みたいなものは一応あるにはあります。世界地図みたいなマップ上で船を派遣するとたまに戦闘になるみたいな感じ。

ただ、これはオート戦闘であることに加え、研究を進めて必要な装備を揃えてからなら絶対に負けない仕様です。つまり研究と開発に応じて探索できるポイントが増えるだけ、とも言えます。メインの島自体は平和そのものなので、敵に工場を壊されるみたいなこともありません。ゲームの面白い部分だけに集中してゆっくりやれるのが個人的に好みでした。


レビューということで不満点も書くのが順当とは思うのですが、これといって思いつかないというのが正直なところです。

2026年5月時点ではまだアーリーアクセスなのですが、正直もう正式リリースしても全く問題ないと思います。ロケット打ち上げを1つのマイルストーンとしながらも、その後のエンドコンテンツも実装されています。ボリュームはむしろ多すぎるくらいかもしれません。

不満点は…特になし。

あとはゲームの内容が合うかどうかが問題となるわけですが、個人的には、既存の工場や自動化ゲームの流れを汲む作品としてとても楽しめました。Factorio、Dyson Sphere Program、Oxygen Not Includedなどが楽しめたプレイヤーにはおすすめします。

反対に、初見でもサクサク進めるようなカジュアルなゲームを求めている方にはおすすめしづらいです。あと、このゲームは最速モードでプレイし続けたとしても、ロケット打ち上げまでにけっこう時間がかかります。ローグライクのように短いプレイを繰り返すタイプではなく、1つのゲームを長くじっくりやり続けるタイプだと思います。この辺りの空気感を考慮しておくと、ミスマッチが減らせると思います。

個人的には90点以上。正式リリースが楽しみです。

【関連】産業キャプテン イージー難易度クリアに向けたTips

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産業キャプテン イージー難易度クリアに向けたTipshttps://fragments-t.com/2026/05/coi_easy_tips.htmlSun, 10 May 2026 02:24:00 +0000https://fragments-t.com/?p=14460

この記事はUpdate4に対応しています。 この記事では、産業キャプテンのイージー難易度クリア、つまりロケット打ち上げ達成のために役立つ知識をまとめます。他プレイヤーにとっても有用かは分かりませんが、少なくとも挫折と再開 ... ]]>

この記事はUpdate4に対応しています。

この記事では、産業キャプテンのイージー難易度クリア、つまりロケット打ち上げ達成のために役立つ知識をまとめます。他プレイヤーにとっても有用かは分かりませんが、少なくとも挫折と再開を繰り返していたときの自分に役立つ内容であることは確信しています。「とりあえずイージー難易度でもいいから一度ロケットを打ち上げてみたい」という方に向けた内容となっています。

しかしこの記事では、具体的な工場のレイアウトを紹介したり、どの施設を何基用意するか、といった内容は紹介しません。それを試行錯誤するのがこのゲームの醍醐味だと思っており、答えみたいなものをそのまま提示するのは、これからクリアを目指すプレイヤーの楽しみを毀損する結果にも繋がりかねないからです。

今回のTipsではどちらかというと、抽象的な概念や、超ミクロな配置例といった内容を扱います。これらを先に見たからといって、実際にプレイする楽しみが失われることはないと思います。

最重要項目はグランドデザイン

このゲームをプレイしていく上で最も大事なことは、「グライドデザイン」だと個人的には考えています。日本語では「全体構想」や「全体像」という概念に相当します。つまり、工場全体のざっくりとしたレイアウトが重要だということです。

その理由としては、細部がどれだけ丁寧に作ってあっても、グランドデザインが悪いとどうやってもプレイが苦しくなってくるからです。

Oxygen Not Includedというゲームをやったことがあるプレイヤーなら、グランドデザインの重要性はよく分かると思います。各部屋がどれだけ効率よく作ってあったとしても、部屋どうしの位置関係が悪いと無駄が多くなり、ゲームが進むにつれて無理が生じてきます。例えば一日の終りはトイレ→食料庫→食堂→寝室となりますが、これらが離れていると休憩時間に食事を取れなくなったりします。これはグランドデザインが悪いからです。

ここでやりがちなのは、グランドデザインレベルのミスを、小~中規模の修正でどうにかしようとすることです。しかしやってみると分かると思いますが、こういった局所的な手直しでは問題は解決しません。配管やコンベアは長く、ぐちゃぐちゃになり、トラックの移動距離も無駄に長くなります。するとリソース(材料や燃料)の消費量も多くなり、どんどん苦しさが大きくなってきます。そしてどこかのタイミングで脳のキャパオーバーを起こし、プレイを断念してしまう…というのが僕の陥ったパターンでした。

ではどうするか。何がなんだか分からなくなったら、最初からやり直すのが実は最も近道となる場合が多いと思います。前回のプレイではどこが苦しかったのか。拡張先で困ったのはなぜか、コンベアが長くなりすぎたのはなぜか。リソースが詰まったのはなぜか。こういった失敗の経験を生かして、グランドデザインを1から練り直すことを強くおすすめします。

とはいっても別に正解は1つではありません。最適解を打たないとクリアできないようなものでは決してなく、それぞれのプレイヤーが工場設計の思想を反映させながら楽しめるようなゲームになっていると思います。

倉庫を逐一設置し、センサー代わりにする

生産や消費を行う各ポイントで、しつこいくらいストレージ施設を噛ませて通知をセットしまくると、下記のような利点があります。

  • 特定の資源の在庫切れによる大規模な生産停止を予防できる
  • 生産バランスをチェックしやすくなる
  • 絶対に止まってほしくないポイントを確実にチェックし続けられる

このゲームには、他の工場ゲームのような「回路」がありません。あるのは、ストレージ系施設の内容量に応じて通知を設定できる機能と、コンベアやパイプの入出力優先くらいです。

工場がある程度の規模になってくると、施設がちゃんと動いているかどうかとか、パイプの中で資源が詰まっていないか、といったことを全て把握し続けることは事実上不可能です。一応デフォルトでも保守点検が足りないとか、トラックが燃料補給できないみたいな通知は出ますが、それだけだと正直苦しいと思います。

発電用のリソースやトラック用の燃料のような基本的なリソースは、一度底をつくと復旧がかなり大変になることも珍しくありません。そういう事態はなるべく避けたい。

そこで、要所要所にストレージをバッファとして噛ませつつ、役割に応じて通知をセットしまくるととても便利です。

僕が挫折を繰り返していたときの問題として、工場全体の管理が大変になりすぎたという点がありました。思わぬライン停止が頻発し、そこからの復旧に手間取ることも多くありました。工場全体にセンサーを張り巡らせれば、目視によるチェックの手間が大幅に省け、問題が起きても軽微なうちに対処できるようになります。つまりラクができます。

 

例えば、住宅にきれいな水を送ることは単純な入力でしかありませんが「絶対に止めたくないライン」の1つです。そのため、水を供給する施設にただパイプを繋ぐだけではなく、その前に貯蔵施設を噛ませて「水が少なくなったときに通知する」ようにセットすることで、「そこに水が来ているかどうか」を(プレイヤーがいちいち確認しなくても)常にチェックし続けられるというわけです。
(ただし、これだけだと貯蔵施設の出力側のパイプ容量が小さすぎるみたいなミスは直接は気づけなかったりするので注意)

こういう「チェック機構」を工場のあちこちに配置していくことで、「そこ動いてなかったのか・・・」みたいなミスが減らせて、工場稼働の安定感が格段に高まります。

トラックでの入出力を適宜OFFにする

常にコンベアやパイプで入出力することが決定している施設の場合、トラックによる入出力を意図的にOFFにするのは個人的に有用だと思います。
(もちろん、意図的にトラックでの輸送をするつもりの箇所では話は別)

というのも、「生産施設を配置したがコンベアが繋がっておらず、長い間ずっとトラックが手動輸送し続けていた」みたいなことがたまにあるからです。この問題のやっかいなポイントは、単にトラックの負荷が大きくなるだけでなく、そのミス自体に永遠に気づけない可能性があるという点です。ミスに気づかない限り、トラックが無駄な輸送を延々と繰り返すことになります。これが工場運営にとって確実にマイナスなのは言うまでもありません。

人間は神のような全知全能の存在ではないため、こういうミスが起きてしまいます。それならばいっそのこと、最初からトラックによる輸送をOFFにして、少しでも気づきやすくした方が個人的にはいいと思うのです。そうすれば、仮にコンベアが繋がっていなかったときにもトラックの負荷は増えず、「なんか生産量が足りなくない?」「一つだけ施設の動作止まってない?」と思ってミス気づきやすくもなります。

これはあくまで好みの問題という感じもしますが、個人的にこのゲームにおいてトラックの負荷はかなり重要な要素だと考えています。燃料の無駄という点でも悪影響ですし、無駄なことをし続けるという事自体が精神的にとても不快に思います。なので僕は生産型施設を設置してコンベアやパイプまで繋げ終わったら、トラックによる入出力はOFFにしています。

輸送船の利用を最小限にしてユニティを節約する

島外資源の採取と輸送はユニティと人員をバカ食いします。よって、島外資源にどの程度依存すべきかはその都度よく検討すべきだと思います。

例えば、原油を入手する場合を考えます。初期マップのデフォルト位置で開始するなら、2番目に近い原油の採取ポイントはそんなに遠くありません。

原油の調達に必要なリソースを考えると、島内と島外では次のような違いがあります。

  • 島外から原油を運ぶ場合:採取地点のレベルごとにそれなりのユニティと人員。レベル上げのための建材。輸送船の人員と燃料。海洋汚染発生。輸送施設とそのための海岸線。
  • 島内で採取する場合:遠隔地へアクセスするための整地の手間。一度きりの施設のセットアップ。少数の人員。ユニティ消費なし。

こうしてみると、島外から資源を引っ張ってくるのがどれ程大変かが分かると思います。

特にイージー難易度でロケット発射を目指すことを目標とするなら、島内の資源だけでもかなりやっていけます。(もちろん、高難易度で別のマップだとそうも言っていられないことはあり得る)

 

つまり、よほどの必要がなければ島外への依存度を下げてユニティを節約しようという話です。ユニティを節約すると、それだけ強力な布告をたくさん利用できるようになります。個人的に特に有用だと思うのは研究効率アップ系の布告です。常時稼働する研究室の数を増やすことは難しいですが布告発動のためのユニティを稼ぐことはそれほど大変ではないと思います。終盤になればなるほど研究にかかるリソースはどんどん増えていくので、研究効率の布告の恩恵も増えていきます。

個体3入力のコンパクトなレイアウト

組み立て機に3つの個体を入力する場合のレイアウト例を紹介します。昇降機を使わずにコンベアの自然な交差だけで3入力を実現しようとすると、とんでもなくスペースを食うので非効率です。

まず前提として、コンベアやパイプは交差させるだけでなく、同じXY座標に並行して重ねることが出来ます。ただしそのままだと勝手に接続されて配置しにくいため、一時的にスナップを解除するとこの形にしやすいです。

 

3つの個体を入力したい組立機に対して、2マス開けてコンベアを重ねて並べます。2マス空けるのは昇降機を挟みたいからです。それぞれの高さは0~5のどれでも構いません。

あとは、高さ0のコンベアからはコンベアで、高さ1以上のコンベアからは昇降機でコンパクトに入力できます。

昇降機の設置にはコツがあるのですが、下記のような手順で設置できます。

  1. 昇降機の入出力方向を合わせる(デフォルトだとFキーだったはず)。
  2. その状態でまず、設置したいXY座標に合わせて1度左クリックする。すると、XY座標が確定する。
  3. 次に、高さ調節キー(EかQ)で対応するコンベアに高さを合わせて、もう一度左クリックする。すると片方のZ座標も確定して配置完了となる。

3入力の組立機以外にも、昇降機を使ったレイアウトでラインをコンパクトに出来ます。すると整地を急ぐ必要も少なくなり、工場運営が一段と楽になります。

その他

上記以外の細かいこと。

素材の「世代」を意識する:特に序盤用いるレシピについては、それぞれの素材や成果物に世代のようなまとまりがあるのが分かると思います。これを意識して、世代ごとにある程度横並びにしてラインを組んでいくと、レイアウトがスッキリすると思います。例えば、序盤には機械部品と電子部品を同時に使うレシピがいくつか出てきます。保守点検、車両部品I、研究Iなど。これらを同じ世代と見なすと、材料の入力がしやすくなるだけでなく、その後の発展した工程(車両部品II、研究IIなど)にも拡張しやすくなります。序盤は素材の世代を大まかに次のように定義できると思います。

  1. 鉄板、コンクリート、木材、銅板、ゴム
  2. 建材I、機械部品、電子部品
  3. 保守点検、車両部品I、研究I(+新たに鋼材、ガラス)

早めの整地:ちょっとでももっこりした地面には施設を置けません。なので、近々拡張する予定の土地には1台でもいいので早めにショベルカーを割り当てて、余裕を持って整地しておくのがいいでしょう。

廃棄するリソースの丁寧なコンベア輸送:採掘して出てきた岩や土、炉から出てくるスラッグは大量に余るので、どこか遠隔地に輸送してからトラックで廃棄することになると思います。個人的には沿岸部の埋め立てに積極的に用いて、海岸線を形成したり、スペースを増やしたりするのがいいと思います。ゲームを通じて輸送するこれらの廃棄物はとんでもない量になります。なので、それらを採掘地点から沿岸部まで輸送するコンベア網はスループットを十分に確保し、丁寧に作るといいと思います。この辺をテキトーにやると、選別機が詰まったりトラックでの長距離輸送が発生したりして、多大な無駄が生まれかねません。

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レイ・ブラッドベリ「華氏451度」読書メモhttps://fragments-t.com/2026/05/f451_memo.htmlSat, 02 May 2026 06:12:29 +0000https://fragments-t.com/?p=14453

レイ・ブラッドベリの『華氏451度』 個人的読書メモ。 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を2か月かけて読んだ後に、Amazonでレコメンドされたので華氏451度を久しぶりに電子で読んでみることにしました。 実は10 ... ]]>

レイ・ブラッドベリの『華氏451度』 個人的読書メモ。

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を2か月かけて読んだ後に、Amazonでレコメンドされたので華氏451度を久しぶりに電子で読んでみることにしました。

実は10年前にも読んだことがあったのですが、そのときはカラマーゾフ同様、メインテーマすらも掴めずに終わりました。「なんか深いこと言ってそう」という印象が残ったくらい。ただ、それから10年経ったことで今回は割と意味が分かる箇所が増えて、悪くない読書体験となりました。


華氏451度(以下、華氏)はFireman(消防士的な存在)が火を消すのではなく反対に本を燃やして「焚書」するという面白い設定が目を引きます。この時点でディストピアSFとしてけっこう面白い。

ただ小説内で燃やす対象となっている「本」というのはあくまで比喩と考えていいでしょう。個人的な解釈としては、ここでいう焚書とは「思考」や「思想」そのものを否定するような行為であると理解しました。

では、なぜ思想を禁じるのか。個人から思想を奪うと、誰にとってのどのようなメリットがあるのか。それを考えながら読んでいくのが、華氏の面白いところだと思います。

僕の解釈では、「思想なんて持たない方が個人にとっては幸福だ」というメッセージがあちこちの描写から感じられました。カラマーゾフ的に言えば、合理主義者のように自分だけの価値体系の中で自由に生きようなんてことはせず、神が与えるストーリーを盲信してその中で生きている方が楽だ、みたいな感じ。

ものすごくざっくり言うと、物事を深く考えなければ、それだけ内面の葛藤や問題意識は生まれにくくなるとも言えます。よって、もし仮に個人の中から思想を限りなく取り除くことが出来たとしたら、そこにはある種の安心や平穏があるとは言えないでしょうか。

しかしこの思想の禁止というのは個人が自発的に行うものではなく、人間の集団の中に自然と立ち現れてくる現象であるように思います。身近な例で言うと「出る杭は打たれる」とか「ことなかれ主義」が近いと思います。例えば、みんなが特に気にしていないことについて突然誰かが「これって本当に正しいのか?」とか「これって問題じゃない?」みたいに問題提起し始めると、面倒くさがられますよね。たとえそれが理に適っていたとしても、安定状態に落ち着いている集団から見れば、和を乱す異分子でしかないわけです。だからそういう異分子が生まれないように、予め思想を禁止しておく。そうすれば問題を認識することもない。

これは人間集団における普遍的な性質と言っていいと思います。自分が生きている社会にも全く同じように適用できるため、とてもリアルな実感を持って読むことが出来ました。テクノロジーが進歩しても人間の本質は変わりません。


この手のディストピア小説は予言書みたいになっていることが多いと思います。1984も華氏も、今の我々の生活とぴったり一致するような点が多くあって、「人間の本質を見抜いている感」がありました。

個人的にまず面白いと思ったのは、「マジで何も考えていない妻とその仲間たち」の描写。

実は、華氏を読み始めて最初の1/5くらいまでは、特に妻ミルドレッドとのやりとりが意味不明すぎて読んでいてとてもイライラしました。変わった表現スタイルの小説なのではとも冗談抜きで思いました。ミルドレッドはとにかく支離滅裂で、マジで話が通じていない。というか何も考えていないように見える。

しかしそれ以降も読み進めていくと、そのイライラにこそ意味があったのだと理解できました。おそらく、ミルドレッドは思考の放棄の結果生まれた抜け殻の存在として描かれているのではないでしょうか?その主婦仲間たちも同様で、理屈の通った会話が全く出来ていないように見えます。

彼女らの興味は、もっぱらテレビのようなデバイスから流れるコンテンツに集中しているようです。これといって意味のない内容が延々と垂れ流され、特に何考えずそれを見続けているような感じ。

ただ、これも現代にぴったり当てはまる内容だと思うのです。テレビやスマホから流れるコンテンツをだらだら眺め続ける。思考を一切必要としない娯楽をただひたすら消費し続ける。それは現代の僕たちも同じとは言えないでしょうか?別にそれが絶対的に悪いことと言うつもりはありません。なぜなら前述のように、思考が存在しなければ苦悩も問題意識もないからです。思考の放棄は確かにメリットがあります。

しかし、そこで失われてしまう何かを惜しむ気持ちを、著者はこの本の中で表現したかったんじゃないかなと僕は思いました。ものすごくかっこよく言うと「知性」とか「構造を見抜く視点」とか。


これに関連して、興味深かった点がもう1つ。

この世界で広く普及しているコンテンツの特徴として、「誰のこともちょっとも傷つけない、特徴のないコンテンツ」みたいな表現があったと記憶しています。これも現代にめちゃくちゃ当てはまると思いました。

思うに、時代を経るごとに、世の中のコンテンツからは「棘」がどんどん剥がれ落ちていっている感じがします。何も批判しない。何も刺激しない。何も突っつかない。何も特徴を持たない。みたいな感じ。これもまた、前述の「思考の放棄」の1つの側面のように個人的には思います。

没個性とはまた少し違う感じもするのですが、こういった潮流の中では、「物事の本質」が見失われていくような感覚が僕の中にあります。昔の小説を読んでいると、物事の本質やありのままの姿がバシッと書いてあって痛快な思いがします。一方で、そういう作品は時とともに出てにくくなっていって、誰も何も刺激しない、無難なコンテンツ化していっているように見えます。

なぜ世の中のコンテンツは無難な内容になっていくのか。この答えも先ほどの議論と全く同じで、「異を唱えることは和を乱すから」ではないでしょうか。和を乱すと誰かが不安や憂鬱になる。それであれば、もう最初からコンテンツの棘を全て削ぎ落として、無難なものだけで世の中を満たす。そうすればみんな何も考えず安心して生きているじゃないか、というわけです。


というわけで、華氏は個人的にかなりぶっ刺さるテーマの小説だったと言えます。10年ぶりに再読して良かったと思いました。最近読み直したカラマーゾフとも共通する部分があると感じましたし、僕が何度も読んでいる1984ともかなり近いです。

ただし本音を言うと、読みづらいと感じる部分もかなりありました。テーマ自体は面白いんだけど、なんというか詩みたいで頭に入ってきづらいと感じる部分がちらほらあります。また、華氏には過去の文芸作品からの引用がたくさん出てきます。これも読書中の引っ掛かりの一因になっていたかもしれません。教養があればそういう部分も楽しめるのかもしれませんが。

よく引き合いに出される1984よりはだいぶ読みづらい印象を受けますが、セットで読んでおいて損はない1冊だと思います。

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GU『ストレッチスリムジーンズ』のサイズ感について(2026)https://fragments-t.com/2026/04/gu_jeans_2026.htmlSat, 25 Apr 2026 14:34:39 +0000https://fragments-t.com/?p=14447

服についての備忘録。GUの「ストレッチスリムジーンズ」を買って個人的に失敗しました。 要点から書くと、僕が求めていたのは「スキニー」だったということ。ここの認識がズレていて、自分が求めるシルエットとのミスマッチが起きてし ... ]]>

服についての備忘録。GUの「ストレッチスリムジーンズ」を買って個人的に失敗しました。

要点から書くと、僕が求めていたのは「スキニー」だったということ。ここの認識がズレていて、自分が求めるシルエットとのミスマッチが起きてしまったという話です。

ちなみに僕は166cm、54kgです。

 

GUの「ストレッチスリムジーンズ」を試着なしで購入したところ、思っていたよりずっとシルエットが大きくて驚きました。

これは30サイズ。

試着しなかった僕が完全に悪いのですが、にしても足回りが太くてイメージとは違いました。「別な商品じゃないか?」と思って品番を確認したのですが、間違ってはいませんでした。(商品番号: 359099)

写真はオンラインで注文して、裾上げもお願いしたものになります。撮影時点ではまだ洗っていない状態ですが、一度試しに洗ってからもサイズ感はほとんど変わりませんでした。

なぜ試着しなかったのかというと、以前同じような商品をGUで購入して、それがとても気に入っており、同等品も同じようなシルエット・サイズ感だと勝手に思い込んでいたからです。(というか今回買ったものがそもそも同等品ですらなかった、と後から気づいた)

裾上げも何度かやってもらった経験があり、既に何cmにすればいいかも分かっています。試着するのも手間だったので、裾上げ込みでオンラインで注文して、店頭で受け取るという横着をしてしまいました。


ちなみに僕が愛用していたのは2024年に購入したGUの「ウルトラストレッチスキニージーンズ」。こっちのサイズは29。上記のスリムジーンズより1サイズ小さいとはいえ、シルエットは全然違います。

こっちは商品名に「スキニー」という文言が入っていて、「スリムジーンズ」と謳う商品とはそもそもコンセプトが違うって感じなんでしょうね。

このスキニーの方が個人的にすごく気に入っていました。近年のトレンドとは真逆ですが、なんか自分はこういう感じが好きなんですよね。


前述のスリムジーンズを履いてみたところ、個人的にものすごくどっちつかずな印象を受けました。(ファッションに詳しい僕に何も言う権利もないかもしれませんが)

まず、僕が思っていたイメージ(スキニー)と比べると明らかに太いです。一方で、「意識してビッグシルエットにしています」感も全くない。個人的には太もも周りが特に太すぎるように思いました。しばらくスキニーしか履いていなかったゆえの違和感かもしれませんが。

スーパーへの買い出しくらいならまあいいかなという感じですが、それ以上の外出となると無理だなあと正直思いました。要はワンマイルウェアの範疇に留まるということです。

試着さえしていればその時点で「これは違うな」とすぐに気付けたはずですが、全てはそれを面倒くさがった僕の過失です。服って本当に難しい。


ハッキリ書いておきますが、別にGUに不満を言っているのでもなければ、商品の質に問題があるのでもありません。何もかもが値上がりしている昨今、2,990円で買えるジーンズとしては悪くないと思います。

しかし最初にも書いたとおり、僕が欲しかったのは「スキニー」でした。というか今回の件でそのことに気づきました。

確かに今回購入したものには、スキニーという文言が入っていません。ただ、一番細い商品なら以前のものと同じような感じだろうと、勝手に思い込んだ僕のミスでした。

厳密な定義があるのはかは知りませんが、「スリムジーンズ」とはいっても、裾に向かうに従って細くなる、くらいの意味しかないのかもしれません。今回購入した商品も、確かにそういう作りにはなっています。

2026年4月現在、GUにもユニクロにもスキニーというカテゴリのパンツはないように思います。上の写真のように、少なくとも24年にはまだありました。なのでおそらくここ1~2年くらいの間に消滅してしまったようです。想像ですが、やっぱり現在のビッグシルエットのトレンドと逆行するゆえにあんまり売れなかったのかもしれません。そもそもユニクロもGUもなるべくマジョリティに刺さるような主張しすぎない路線を狙っているはずなので、なおさらスキニーは残りづらかったのかな、とも推測します。

別にスキニーなんて探せば必ず見つかるものではあるのですが、個人的にはGUやユニクロで手に入るととても便利に感じます。なぜなら裾上げが店内で出来るからです。

僕は足が短いため、室内用でもなければどんなパンツでもそのまま履くことは出来ません。裾上げが必須となります。普通の服屋でパンツを買う場合、大体は外部の店を利用して裾上げをしてもらうことになると思います。すると二度手間になるし裾上げの追加費用もかかるので、正直なところ抵抗がないと言ったら嘘になります。
(一応自宅で使える裾上げテープみたいなものも存在しますが、やっぱり糸で縫ってもらった方が安心して履いたり洗濯したり出来るので、個人的にはちゃんと裾上げしてほしいです)

その点、現在だとユニクロは裾上げ無料、GUの通常の裾上げは330円という安さでやってもらえます。店内で。これはめちゃくちゃ便利。正直ボトムスなんてパッと見でどこのブランドかなんて分からないので、シルエットが気に入ればGUやユニクロでもいいと僕は思ってます。利便性も考慮すると、少なくともスキニーがラインナップにあった頃は頼れる存在でした。

だからこそGUやユニクロでスキニーが買えなくなったのが残念。しばらくは他で探すことにします。

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Standard Skeletal Mage Necromancerビルド紹介【Last Epoch 1.4】https://fragments-t.com/2026/04/le_s4_smage_1.htmlMon, 20 Apr 2026 11:33:54 +0000https://fragments-t.com/?p=14420

この記事はLast Epoch 1.4に対応しています。 今回はスケルトンメイジをメインスキルとするミニオンビルドの紹介です。オリジナルで試行錯誤しながら通常Aberroth撃破までプレイしました。個人的に悪くないビルド ... ]]>

この記事はLast Epoch 1.4に対応しています。

今回はスケルトンメイジをメインスキルとするミニオンビルドの紹介です。オリジナルで試行錯誤しながら通常Aberroth撃破までプレイしました。個人的に悪くないビルドだと思ったので、紹介します。

僕が実際にプレイしたAberroth撃破時点でインポートしたプランナーです↓。正直これを見てもらった方が早いと思います。

【リンク】Skeletal Mages Necromancer – Last Epoch Build Planner

注意点として、上記のビルド内容を完全にコピーするのは不可能だと思います。というのもシーズン4から腐敗のルーンが登場し、ランダムなAffixを付けられるようになりました。これは他人が容易に真似できるものではないので、現実的なプレイ時間では自分だけの一品物が出来ることになります。なので、あくまでビルドの「格子」として参考にしてください。

 

通常Aberroth

そんなに火力は高くありませんが、プレイヤースキルが最悪でも確実に倒せるビルドにはなっていると思います。

 

時の聖域T4

ビルドコンセプト

このビルドのコンセプトは単純明快。スケルトンメイジに戦ってもらうミニオンビルドです。個人的にPoEやグリドンでもミニオンビルドが好きなので、ラスエポでもどれくらいやれるのか試してみた次第です。

他にゴーレムも召喚しますが、これはヘイト集めとStun、Chill要因です。火力を出すのはあくまでスケルトンメイジ。

スケルトンメイジの運用にはいくつもの選択肢がありますが、今回はそのまま死霊属性のダメージを伸ばしていく方向にしました。理由は、その方がスケールの仕方が単純であり、実現しやすいと思ったからです。

使用スキルは下記。各ツリーについてはPlannerから確認できます。

  • スケルトンメイジ召喚:メインスキル。死霊ダメージのスペルを発動する。
  • ゴーレム召喚:タンク役。本体が集中的に狙われると防御機構的に絶対耐えきれません。ChillやStunでも敵を足止めしてもらいます。
  • 恐怖のシェード:ミニオンに付与するバフ。下記の「孤独の観測者」を取ると永続バフ化出来てプレイフィールが大幅に上がります。
  • 骨の呪い:デバフ。
  • 刈り取り:デバフ+ミニオンバフ+しきい値以下即死。

 

恐怖のシェードをそのまま利用すると、ミニオンがそのうち死にます。その度に復活+かけ直しするのは面倒すぎるので、実質永続バフ化するノード取りました。これはおすすめです。

装備品

【再掲】Skeletal Mages Necromancer – Last Epoch Build Planner

なぜその装備を選んだのかについての個人的な基準と、気をつけるべきポイントを書きます。

 

武器枠としては、両手斧の「レムニスケートの物差し」を採用しました。シンプルに火力が大幅に伸びるのと、恐怖のシェードとのシナジーがあります。恐怖のシェードが一体だけになりますが、そもそもスキルツリーの方で一体だけになっているので実質デメリットがありません。

ミニオンフラットダメージT7を合成していますが、もしかしたら死霊貫通でもいいかもしれません。(計算ツールがないのでどっちがいいか分からない)

ちなみに、レムニスケートの物差しは要求レベル82なので、レジェンダリー化する時は時の聖域をT4でクリアしないといけません。T4クリアのためには、レムニスケートをそのまま使うか、下記の「ラケシスの荒廃」がおすすめです。

 

ラケシスの荒廃はエコー入り直後から簡単に手に入って、とても優秀な繋ぎになります。織られし魂で理想的なAffixがつけば、もしかするとレムニスケートを超えるぶっ飛んだ良品になるかもしれません。

実際に検証してみたのですが、ラケシスでも時の聖域T4はクリアできました。強打を1発も被弾しないのが前提ですが、火力が十分あるので、殺られる前に殺ることが可能です。

また、上記のレムニスケートとラケシスをAberroth戦でどちらも使ってみたのですが、スケルトンメイジの最大数が減ってもレムニスケートの方が一回り火力が出ていました。確定でT7を付けられることも考えると、やっぱりレムニスケートをなるべく早く用意していくのが無難だと思います。

ちなみに、凍傷(Frostbite)で冷気継続ダメージを伸ばしていくビルドではオフハンドに「Lich’s Scorn」を持つケースもあるみたいです。


このビルドは大きな庇護(ward)でダメージを受けていく防御機能にしないと厳しいと感じました。なので胴体は「アストラルの血の構築者」にしました。これは原始アイテムなので、他の部位で原始アイテムは使えません。アストラルを着ることで、ヘルスを盛ると庇護に変換されて伸びていく形になります。

胴体には「スケルトンメージダメージ増加」というAiffxがつくので、T7を付けました。それをコラプトしたところ、ヘルス+庇護のT7がついてしまいました。これは運が良かったです。

原始コンテンツの周回で確実に手に入るので、LP1相当のレジェンダリー品は割と簡単に作れると思います。

 

これとセットで使うのが「生者の最期の歩み」。自分が冷却されるデメリットはありますが、移動速度T7をつけたら個人的には気になりませんでした。最終的にコラプトでアーマー+クリティカル対策T3がついて悪くない品になりました。


ヘルメットは庇護リジェネ目的で「骨響のバルビュータ」にしましたが、そんなに重要でもありません。Aberroth撃破後は「Seed of Ekkidrasil」の方がいいと思います。

ヘルメットにも「スケルトンメージダメージ増加」がつきます。T7をつけましょう。


一番火力が伸びるアミュレットは「死神の鈴」だと思います。ミニオンの耐久力はそこまで問題にはならないので、ここで火力を妥協する理由はありません。死神の鈴はレア度が低いので、LP1品ならすぐに作れると思います。

ネクロティックモルタルは範囲増加の影響を受けるので、「ミニオンダメージ増加+範囲増加」の複合AffixのT7をつけます。通常の「ミニオンダメージ増加」Affixとダメージの数値はほぼ変わらず、範囲増加が得られます。


「鴉の目覚め」はレア度が高くてなかなか手に入りませんが、その価値はあると思います。グローブにも複合AffixがつくのでT7をつけます。

もし鴉の目覚めが手に入らなければ、「Julra’s Obsession」に詠唱速度T7をつけると良い繋ぎになります。本来詠唱速度はプレイヤーにしか効果がありませんが、このグローブならそれをミニオンにも適用できます。


指輪は「幻影の一握」を採用しました。スキルレベル、ミニオンクリティカル率が有用。スケルトンメイジのツリーには最大マナによってダメージがスケールするノードがあるので、マナ増加Affixも意味があります。

レア度が低いユニーク品なので、数を集めてロール値はこだわりたいです。LP2の品を用意するときは特に、織られしエコー「闘争のガントレット」でロール値の吟味をするといいと思います。

【関連】『闘争のガントレット』でユニークのロールを再抽選する【Last Epoch 1.2】

この指輪はLP2でも手に入れやすいので、ミニオンダメージ増加T7と、何か有用なAffix T5を揃えたいです。この辺りで耐性を稼げれば偶像で自由が生まれ、火力や耐久性がさらに伸ばせます。


レリックは「消されたアコライトの野心」に「スケルトンメイジ召喚+4」がついてしまったので、これを使っていました。

ラスエポの「+X スキルレベル」Affixは、スキルごとに対応する部位が異なります。今回のスケルトンメイジの場合はレリックにつきます。他のスキルだとヘルメットだったり胴だったりします。

ここで問題なのは、スケルトンメイジのスキルレベルAffixはレリックにつくものの、装備したいユニークレリックがないということです。「Reliquary Nest」はまあまあ相性がいいのですが原始アイテムなので、胴体と両立できません。なので今回は汎用性の高い「消されたアコライトの野心」を最初から採用していました。

なんなら出来合いのイグゾルトの方が良かったかもしれません。スキルレベルT7は絶対欲しいので、再現性を考えるならクラフトもしつつイグゾルトの良品を狙ってみてください。

ビルドのスケール要素について

火力面(DPS)

このビルドのDPSは下記の要素でスケールしていきます。

  1. ミニオンダメージ増加系のAffix
  2. ミニオン詠唱速度Affix
  3. ミニオンスペル(フラット)ダメージ系のAffix
  4. ミニオンクールダウン短縮

1~3についてそのままの意味です。4のクールダウンについては、スケルトンメイジの「ネクロティックモルタル」の発動頻度に関わってきます。

死霊ダメージで伸ばしていく場合、スケルトンメイジの「不死者の砲撃」は取らない理由がないと思います。これを取るとネクロティックモルタルというスキルを使うようになるのですが、これは通常のスペルよりも火力が高い代わりにクールダウンを持つ大技です。

なので、ビルドのどこかでミニオンのクールダウン短縮を稼ぐと、ネクロティックモルタルの発動頻度が上がる→実質DPSが増えていく、というスケールが存在します。

ミニオンのクールダウン短縮はアコライトの偶像で稼げます。しかし僕のビルドでは防御面を優先してヘルス(実質庇護)を稼いでいるため、クールダウン短縮は増やせていません。ここはお好みで。

防御面

このビルドの弱点は本体が脆いことです。センチネル系のビルドに比べて、利用できる防御機構が少ないと思います。

落としどころとしては、庇護をとにかく稼ぎまくるという愚直な方法を取ることにしました。ただし今回は胴体でヘルスを庇護に変換しているので、ヘルス系のAffixを確保することになります。

ヘルスと庇護の合計が3000~4000くらいだと、腐敗度200~300程度でも大技でワンパンされるみたいなことがけっこう起きます。それだとファームが面白くないと感じて、個人的にはヘルスへの投資を多めに行いました。合計7000くらい稼ぐと、ちょっとやそっとではワンパンされなくなります。

上記のプランナーでは偶像でヘルスを大きく稼いでいるのですが、これをアコライトの偶像に置き換えればもっと火力を出すことが出来ます。


ちなみに、このような低ヘルス型では耐久力の恩恵はほぼ受けられません。耐久力という防御機構のダメージカットはヘルスのみに作用し、庇護には効かないからです。

よって、上のようにヘルスが耐久しきい値以下だったとしても、その恩恵を受けるのは僅かなヘルスだけ、ということになります。よって耐久力はほとんど意味をなしていません。
(僕はしばらくの間この点を誤解していました。まあ耐久力が庇護にも効いたらこの形が流石に強くなりすぎるか…)

ビルド総評

このスケルトンメイジビルドの総評としては、「標準的なミニオンビルド」として悪くないと感じました。

まずこのビルドは仕組みやスケールの方法がとても分かりやすいです。もともと用意されている死霊属性を伸ばしていくので、ダメージ変換のようなギミックなどもありません。スケルトンメイジ主体のビルドの中ではおそらく最もシンプルなコンセプトです。特定のギアがないと機能しないということもないので、スターターでもやれると思います。

また、今回のプランナーの構成はそんなに突き詰めた内容ではありません。まだまだ改良の余地があります。そこそこのファーム量でAberrothは確実に倒せるところまでは危なげなく行けます。Uberの方は分かりません。


短所としては、本体が逃げ回っているだけなので単調に感じるかもしれません。ミニオンビルドの常です。ただ個人的にはミニオンが勝手に敵を倒してくれる挙動自体が好きなので、むしろメリットと捉えました。

防御面で言うと、センチネル系のビルドに比べたら確かに脆いです。利用できる防御機構が少ないのが弱点。ただ、よほど火力に寄せすぎなければ腐敗度300くらいまでのエコーならそんなにストレスなく回れるはずです。

ちなみにこの直前にPaladinのビルドをやっていたのですが、正直、同じファーム量ではそっちの方がずっと楽にスケール出来ました。全身LP1かつコラプト品なしでも、今回のミニオンビルドよりも火力が出て、さらに固さも実現できています。

【関連】Righteous Fire風 DoT Judgement Paladin ビルド紹介【Last Epoch 1.4】

これは僕のビルドの組み方が下手なせいもあるかもしれませんが、格差を感じなかったと言ったら嘘になります。今回のビルドは、少なくとも現状のゲームバランスのもとで「優遇されているビルド」ではない感じはします。

このように全体としては一長一短ありはするのですが、シーズン4時点ではスケルトンメイジは別に極端な不遇スキルでもないと思います。ミニオンビルドが好きな人にはおすすめです。

あと個人的なことですが、ガイドを参照しなかったビルドで初めてAberrothを倒せたので、やって良かったと思います。ゲームメカニクス面の学びもあり、やりがいのあるビルドでした。

【リンク】Skeletal Mages Necromancer – Last Epoch Build Planner

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スメルジャコフの最期についての個人的考察(カラマーゾフの兄弟読書メモ③)https://fragments-t.com/2026/04/karamazof_3.htmlMon, 20 Apr 2026 02:57:51 +0000https://fragments-t.com/?p=14417

ストーリー上のネタバレを含みます。 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から個人的に読み取った内容について。第3回目。 前回まで↓ 【1】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟感想文①) ... ]]>

ストーリー上のネタバレを含みます。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から個人的に読み取った内容について。第3回目。

前回まで↓

【1】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟感想文①)

【2】非合理的ストーリーを信じられない合理主義者イワンへの共感(カラマーゾフの兄弟感想文②)

 

前回は、個人的に最も共感できた登場人物としてイワンを挙げました。共感とは少し違うかもしれませんが、もし2番目を挙げるならスメルジャコフはとても印象的な人物でした。一貫して狂人扱いされる彼ですが、読んでいて僕は嫌いではありませんでした。(動物をいじめることを除いて)

なので今回はスメルジャコフについて。

小説を最期まで読んだ時点では、スメルジャコフが自殺した理由がすぐにはピンとは来ませんでした。むしろ筋が通らないようにさえ思えたほどです。それから1人で考えてはみたものの、それでも腑に落ちない部分もあります。なのでかなり不完全なものになるとは思うのですが、彼の自殺の理由について個人的な考察を書いてみたいと思います。

結論から書くと、イワンとの最期の会話の中で、最期の心の拠り所を失ったことは自殺のトリガーとして大きな要因だったのではないかと思います。もちろんこれだけではないでしょうが、1つ挙げるならこれだと思います。

神を嘲笑う彼が信じられたのは、イワンが彼に囁いた「何をしても許される」に代表されるような価値体系だけだったのではないでしょうか。仲間だと思っていたイワンと決裂することでその唯一の価値体系を失う。最期の拠り所さえもなくなったことで、もう彼にはこの世界で精神的に依拠できるものがなくなった。

これもまた第一回目の記事で書いた内容とかなりリンクしているように見えます。「人間はストーリーがないと生きていけない」というのが本書の一貫したテーマになっている、というのが僕なりの解釈だったのですが、スメルジャコフの人物像や自殺という最期にもそのまま適用できると思います。信じていた価値体系が崩れ去り、その後に何も残らなかった。それがトリガーとなって自殺したという具合。


これについて順序立てて書いていきます。

スメルジャコフは生まれながらにして心の拠り所のない人物だったように思います。

まず、スメルジャコフは神を信じていません。それどころか彼は、信仰心を持つ人々を積極的に馬鹿にしてさえいます。「山を動かしてみてください」とか「太陽が作られる前に陽が差していたのはなぜですか」という台詞はとても面白く読みました。つまり、スメルジャコフは作中人物の中でも最も「意味のない世界」を生きていたように見えます。

それに比べると些細なことかもしれませんが、彼は社会の中でも「持たざる者」でした。狂人の腹から生まれ、フョードルの子どもとして正式に認めてももらえない。つまり本来いるはずの、自分を肯定してくれる親という存在がいない。同じような境遇の人々は当時の社会にそんなに珍しくもなかったと予想しますが、それにしても、生まれながらにしてとんでもない不条理と向き合い続けてきた人物でもあります。また、正式な子どもとして認められないことで、カラマーゾフの兄弟3人との扱いの格差も生まれただけでなく、その格差を目の前でまざまざと見せつけられてさえいましたよね。

スメルジャコフは作中ではほとんど常に狂人扱いされていますが、このような境遇で生まれ育って、捻くれない方がむしろ不思議だと個人的には思います。


フョードルを殺害したのはスメルジャコフ。別に「実はドミートリイが犯人だった!」なんていう話ではないと思います。

スメルジャコフが自殺した理由として、罪悪感はあまり関係ないように僕には思えました。そもそも彼は(おそらく実の)父親の殺害に対しても、ほとんど罪の意識はなく、平然とやってのけたのではないかと推測します。

というのも、彼の中にはもマジョリティ的な価値体系というものが存在しないからです。善悪というのは価値体系によって定義されるものであり、それを信じない人にとっては「何をしても許される」わけです。なのでマジョリティ的な価値観のもとで「父親を殺した罪悪感で自殺したのでは・・・」と考えるのは、ナンセンスのように思います。

ただ敢えて考えるなら、イワンという仲間を失い、イワンから与えられた理論が崩れ去った後に罪悪感がこみ上げてきた可能性はなくもないとは思います。それでも僕は正直懐疑的ですが。


ないない尽くしのスメルジャコフが唯一持っていたもの。それがイワンという仲間(一方的に思っていただけな感じもしますが)と、彼が披露する神の不在に基づいた理論なのでした。

スメルジャコフは神を全く信じない。神を信じる人々を嘲笑ってさえいる。では彼は何を信じればよいのか?その答えが、インテリの合理主義者イワンが語るストーリーなのでした。

スメルジャコフがフョードルの子供だとすれば、イワンはスメルジャコフの兄ということになります。このことはお互い分かっていたはず。そう考えると、スメルジャコフがイワンに寄せる信頼や尊敬の念は、単なる無神論者どうしの関係性を超えたものと言っていいと思います。

第2回目の記事では、イワンが神を信じられず価値体系の外側で生きる苦悩について個人的な考察を行いました。イワン自身、この世界を合理的に眺めた結果が「不死がなければ善もない」みたいな認識だったわけですが、それはイワンにとってはあくまで「理論」でした。だから自分が父親の死を仮に心の奥底で望んでいたとしても、それを実行することなんて決してあり得ないことでした。

一方、スメルジャコフはイワンの言葉を単なる理論ではなく、「実行するもの」として捉えていたとように見えます。スメルジャコフにとってはイワンの言葉は「実行」の許可証だった。ここに2人の認識の食い違いがあった。

だからこそスメルジャコフはイワンの許可があったものと信じ込んでフョードルを殺害する。しかしイワンは「そんなことは言っていない」と思いながらも、「結局殺したのは自分も同然では」と思い始め、悪魔が登場する。


というわけで、「スメルジャコフはなぜ自殺したのか」については、それまで信じていたイワンという仲間と彼の理論を失ったから、というのが僕の理解となります。

繰り返しになりますが、これは第一回目の記事で書いたことと全く同じ構図です。人は誰しもストーリー(価値体系)が必要となる。スメルジャコフにとっては、それは神ではなくイワンの理論だった。その理論を失ったことで、殺人を含むあらゆることを肯定する基盤が崩壊した。かといって、スメルジャコフは自分でストーリーを構築することも出来なかった。それが自殺という選択に繋がったのではないでしょうか。

これは読む人によって見方が分かれる部分だと思うので、正解は著者に聞いてみるしかありません。もしかしたら著者自身も正解を用意していないのかもしれませんが。1つ言えるのは、スメルジャコフの自殺理由は考察するのが面白いポイントの1つだと思います。

10年後くらいに読み返したら、また別の見方が出来るようになっているかもしれません。


それから蛇足なのですが、スメルジャコフという人物について「服や髪型に気を使う」シーンがありましたよね。その辺りを読んだとき、めちゃくちゃ衝撃を受けました。

というのも、まず、いつの時代も人々の中にはスメルジャコフタイプの人間を見つけることは出来ると思います。同時に、誰の心のなかにもスメルジャコフ的側面があると思います。正直僕はスメルジャコフ的な部分が多かれ少なかれあると自分で思いました。

スメルジャコフは依拠できる価値体系を自分では見つけられない人物です。そういうタイプの人間は、けっこう外見にこだわることが多い気がします。だからスメルジャコフという持たざる者が外見に気を使う描写を読んだとき雷に打たれたんです。「確かに人間ってそういうところがある!」と思いました。

思うに、ドストエフスキーは人間のこういう細かいところを抽出して解剖するのがすごく上手いと思います。

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非合理的ストーリーを信じられない合理主義者イワンへの共感(カラマーゾフの兄弟読書メモ②)https://fragments-t.com/2026/04/karamazof_2.htmlSun, 19 Apr 2026 02:10:20 +0000https://fragments-t.com/?p=14412

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から個人的に読み取った内容について。第2回目。 【前回】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟から①) 前回は、この小説の重要なテーマのうち、個人的に特 ... ]]>

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から個人的に読み取った内容について。第2回目。

【前回】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟から①)

前回は、この小説の重要なテーマのうち、個人的に特に興味深く感じた部分について僕なりにまとめてみました。

前回の内容をまとめると、
1.この世界は本来、何の意味もストーリーも価値体系も存在しない、むき出しの不条理そのものである(神がいないと仮定するとそうなる)
2.しかし人間という生き物は、むき出しの不条理を直視できない(=意味がないということに耐えられない)
3.よってこの世界の不条理を直視せずに済むようなストーリーが人間には必要となる
となります。

あくまで個人的な理解なので、専門家がどう思うかは分かりません。

今回は、この続きの話を書いていこうかなと思います。


前述のストーリーの必要性というのは、この小説の主題というよりは前提みたいな感じが個人的にはしています。というのも、この小説に出てくる登場人物たちは、この世界の不条理を前に、それぞれ違った生存戦略で戦い、生きているからです。色んなタイプがいます。

しかも重要なのは、この小説では別にどれかが正解という押し付けがましい書き方をしてはいないということです。それぞれの生存戦略を平等に描いている点が、この小説が評価される理由の1つなのではと思いました。なぜなら、もしも誰か1人の立場に贔屓した内容だったなら、小説としてのメタ度合いがもっと浅くなってしまいます。壮絶な人生を歩んできた著者自身も、どれか1つのアーキタイプにすっぽり収まってしまうことは出来なかったのではないでしょうか。

とはいえ、読む側としては必ずしも登場人物を平等に扱うというわけにはいきません。読者もまたそれぞれ人間としての個性があるわけで、「自分はこの登場人物に共感できるな~」という感想は誰しも多かれ少なかれ出てくるはずです。

では僕の場合はどうかというと、インテリの合理主義者イワンが最も共感できる登場人物でした。しかしそれ以外にも、「全ては許される」を地で行くスメルジャコフにも悲しい共感を覚えました。人間の弱さと、ストーリーによって安心を得る構造を見抜いた上で、人々を愛で包み込むゾシマ長老のスタンスも、一周回ってかなりしっくり来るものがありました。

反対に、ドミートリイのような人物は現実に確かに存在はするとは思うものの、個人的にはほとんど共感出来ませんでした。あれはあれで美しいあり方だとは思うのですが・・・。


僕はこの小説をなるべくフラットな視点から読んだつもりではあるのですが、正直、相当イワン的な視点に引っ張られてはいると思います。前回の記事で個人的にまとめた内容も、結局はイワンの台詞からエッセンスを抽出したような内容でした。

「不死がなければ善もない」と言い出したのもイワン。大審問官をアレクセイに聞かせたのもイワン。この小説を読んでいて特に楽しかったのは、やっぱりイワンが出てくる部分なんですよね、個人的には。

それもあって、彼の苦悩もけっこう共感できる部分が多くありました。具体的にいうと、
「非合理的なストーリーを信じることで、この不条理な世界の中で自分も安心を見出したい。でも、合理主義者である自分にはそれはどうしても出来ない」
という部分です。はっきりとそう書かれていたわけではありませんが、イワンはこのような苦悩を抱えているように僕からは見えました。

この共感を説明するためには、僕自身のことをちょっぴり書かないといけません。

自分で言うのも変な感じがしますが、僕は自分で自分のことを合理主義者だと考えています。大学で理系の道に進んでからというもの、僕は「合理性こそ神の言葉である」と信じるようになりました。別に宗教的な意味は全くありません。つまり、僕にとってこの世界において合理的であることと正しいことはイコールなのです。理に適ったことこそ正しいのであり、理に適わない非合理的なことは正しくないのです。

僕は子供の頃から漠然と、根拠のないものへの違和感を覚えてきました。もちろん当時はそういう感覚を上手く言葉にすることなど出来ませんでしたが、頭の中には確かにあったのです。これは「合理的なものこそ正しい」という価値観の小さな萌芽だったと思います。大人たちの言うこと、やることは時として筋が通っていない。彼らは根拠を説明できない。彼らはなぜ非合理的な考え方で生きているんだろう?と思うことが少なくありませんでした。

それが先ほどの合理主義者の葛藤の話と繋がっているように思います。

人々の中には、ストーリーを信じることで、この世界のむき出しの不条理から身を守り、安心出来る人もいます。子供を幼くして亡くしゾシマ長老に助言を乞うた女性のように。

しかし、小説の中の無神論者たちはそういったストーリーを信じられないため、非合理的な価値体系の中で生きるという生存戦略を取ることが出来ません。

登場人物たちの中には実はけっこう無神論者はいて、その中にも色んなタイプの人間が出てきますよね。その中で、僕が特に共感したのはやっぱりイワンでした。友だちになりたいくらい、本当に大好きなキャラクターです。人々がストーリーの中で安心する様子を構造として見抜きながらも、自分はその中に入っていけない。自分もストーリーの中で安心したいと強く願うも、非合理的なことなど到底信じられない。それゆえに、この世界の不条理、意味の不在の中で苦しむ。

マジョリティ的な価値観の人々から見れば「何言ってんだお前は」って感じでしょうが、これが僕なりの解釈となります。


では、ストーリーを信じられず、城壁の中で安心出来ない合理主義者はどうなるか?それに対する著者なりの答えが、終盤のイワンが抱えた自家中毒なのだと思います。スメルジャコフの最期も同様です。

実を言うと、終盤でのイワンやスメルジャコフの扱いを見ていて、僕はホッとしました。もちろん、彼らが嫌いだったからでもなければ、ひどい目にあってほしいと思ったからでもありません。僕から見て彼らは、最後の最後までこの世界のむき出しの不条理を直視し続けたからです。

なんというか、僕から見れば、非合理的なストーリーの中に安住することは「正しさの敗北」なんです。なぜなら非合理的なことは僕にとっては正しくないからです。彼らは神を信じませんでした。正しさを追い求めて何の救いもない不条理の荒野を覚悟持って歩き続ける姿は、僕にはとてもかっこよく見えたんです。

また、このような救いのないプロット自体に対しても僕は好感を覚えました。なぜなら、それがこの世界のあるがままの姿だと思うからです。昔の小説だからなのか分かりませんが、ご都合主義的な部分やマジョリティへの安易な迎合と捉えられる部分がないというのが、本書の魅力の1つだと思います。

例えばですが仮に、イワンやスメルジャコフがいつの間にか神を信じるようになるようなストーリーだったら、とんでもない興ざめではないでしょうか?今更言うまでもありませんが、カラマーゾフはそんな浅い小説では決してないわけです。その点は安心して読んでいいと思います。


ドストエフスキーは主にイワンとスメルジャコフを通じて、無神論者たちが抱える苦悩を描いたと思います。ドストエフスキーの他の作品でも大体無神論者たちは解決不能な問題で苦しんでいるように見えます。罪と罰のスヴィドリガイロフとか。

前回の記事で散々書いたように、やっぱり人間は神(価値体系)なしに生きられるほど器用な生き物ではないと、ドストエフスキーは何度も繰り返し主張にしているように見えます。

しかもイワンは無神論者たちの中でも別次元の苦悩を与えられています。なぜなら、彼はこの構造を俯瞰しているからです。まあ構造を見抜かずに苦悩する無神論者たちもしんどいのは間違いないですが、個人的にはイワンのような立場の方がより複雑な葛藤を強いられるように思います。

この点では、イワンは1984の主人公ウィンストンとそっくりです。ウィンストンは真理省で働く職員でありながら、ダブル・シンクのおかしさに気づく。それをどうしても受け入れることが出来ずに破滅していくさまは、イワンとぴったり重なりはしないでしょうか?

中二病だと言われるのを覚悟で書きますが、正直なところ僕は、1984のウィンストンにもとても共感しました。僕たちが住む現実の世界においても、なぜか合理的なことと非合理的なことが同時に正しいものとして扱われている(何がとは言いませんが)。そして、人々の大多数はなぜかそれを疑問にも思わず平然と暮らしている。でも自分はそのおかしさをどうしても納得できない。そう考えることが僕自身よくあるんです。

普段から僕が頭の片隅に持っているそういった感覚をどんぴしゃりと書き表しているという点で、カラマーゾフの兄弟も1984もとても大好きな作品です。

 

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自分のブログに対して感じていた違和感の正体https://fragments-t.com/2026/04/blog_discomfort.htmlWed, 15 Apr 2026 14:49:32 +0000https://fragments-t.com/?p=14413あまりにも個人的すぎる、どうでもいい内容。

僕はかなり長いことブログをやってきました。かつては色んな内容・方向性のブログをいくつも作っては消すという試行錯誤を繰り返してきました。今はこのブログしかやっていません。

ここ2年くらいでようやくはっきりしてきたのですが、僕はずっと前から自分のブログに対して何か漠然とした違和感を覚えていました。個人のブログなんだから別にやり方に正解なんてないですが、他ならぬ僕自身が自分のブログに対して違和感を覚えてしまっているのですから、これはやっぱり問題です。

この違和感は常に頭の片隅にあったものの、その正体は長らく不明でした。というより、もしかすると無意識に目を背けていたのかもしれません。

大体2024年くらい、つまり今から2年くらい前からその違和感の正体を少しずつ掴み始め、今では個人的にかなりはっきりしています。僕が感じていたのは、等身大のパッションで書いた記事じゃないと自分で納得がいかないってことでした。こうやって書くだけでは人には伝わらないでしょうが、一言で言うとこうなります。


正直あまり言葉にもしたくないのですが、特にレンタルサーバーまで借りてやっているブログは、ほとんど収益優先というか、そういう系統のブログだと思います。

僕がWordpressと独自ドメインでブログを始めた頃は、ブログの書き方だとか、Wordpressの使い方だとかをたくさん調べました。たくさんの個人ブログを参照し、お世話になりました。その中で目にしたブログというのは、SEOとかの影響もあって、やっぱり「強いブログ・強いサイト」なわけです。すると、そういうブログたちの雰囲気が自分の中で当たり前になり、いかにPV(ページビュー)を稼ぐか、いかに広告をクリックさせるか、みたいなことばかりが前に出てきてしまいました。やりがいみたいな要素もそりゃあるでしょうが、「ブログ=ネットでお金を稼ぐもの」みたいな構図が、(今から思うと不思議なほど)自分の中で強くなっていたのです。

確かに、最初の頃はそういう収益周りの工夫が楽しいと感じたこともありますし、ゲームのように熱中して考えていた時期もあります。しかし何年もブログをやっていくうちに「俺がやりたいのってこういうことなのか?」という漠然とした違和感が頭の隅の方で生まれてきました。そういうスタンスの観点だけでなく、自分が書いている記事やその内容についても、「これって俺が本当に書きたいことなのか?」と感じることも増えてきました。実際、「自分でも見返したくない記事」なんてものも出てきてしまう始末で、これまで自分がやってきたことなのに、それがものすごく気持ち悪くなってしまったのです。
(こんなふうに、これまでの自分のあり方やスタンスがいつからか嫌悪の対象になることが、僕の人生では不思議なことに定期的にあります)

ブログに限らず、僕は他人の「流れ」みたいなものに影響されやすい部分があると感じます。常にそうというわけではないのですが、新しいコミュニティや文化の「ノリ」をそのまま取り入れてしまうみたいな感じです。


今だからよく分かるのは、僕がやりたいブログはそういうものじゃなかったってことです。ただ好きなことを好きなように書きたいだけだったんです。こんな当たり前のことにもなぜかずっと気づかなかったところを見ても、自分は本当に不器用な人間だと思います。

ここで最初の話に戻ります。僕が書いていて楽しいのは、「等身大のパッションに基づいた記事」なんです。

まず「等身大」という部分については、要は背伸びをせず、自分の立場や自分が持っている知識のレベルから、そのまま書くということです。

例えばですが、僕は何の専門家でもない、ただの一般人です。このブログは個人でやっているので、何の組織とも関係がありません。僕はよくゲーム関係の記事を書いていまして、「特定のゲームの特定のModの使い方についての備忘録」みたいな記事も書くことがあります。僕はただの一般人のゲーマーなので、その立場から書かないといけません。あたかもModに詳しい人だとか、何か権威がありそうな人でも何でもありません。そういう立場から、自分のための備忘録の意味も込めて、ブログ記事として公開しているわけです。僕が困ることは他人も困る可能性があるので、こういったニッチなノウハウは(内容が正しければ)ネット上にあっても邪魔にならないと考えています。

他にも、ゲームの攻略情報や感想にしても、ただの一般人のゲーマーという目線から書いています。というかそうやって書くしかないのですが。

こうして言葉にして書いてみると至極当たり前な話ですが、こういう「等身大」という感覚が以前の自分には欠けていて、言うなれば妙にカッコつけていた感がありました。別に嘘はついていませんし、身分を偽ってもいません。ただ、なんか妙にカッコつけていた・・・。当時はそれを良かれと思ってやっていたわけですが、それと同時に頭の何処か片隅では違和感になっていたというわけです。


次に、「パッション」(情熱)という点について。これは要は「自分が自然と書きたいと思ったことを書く」っていう、ただそれだけの話です。

まあこれも言葉にしたくないですが、正直に言うと、昔は「ブログのネタを探していた感」がありました。ブログの記事を書くこと、投稿数を増やすことなどがいつの間にか目的になってしまって、今思うと完全にチグハグでした。それもこれも収益優先のブログの雰囲気に影響されていたからという側面が大きいですが、そうやって自分を俯瞰することもつい最近まではハッキリとは出来ていなかったのだと思います。

これはもう、自分で書いていてすごく気持ち悪い思いがします。「以前の自分は何をやっていたんだ?」という感じです。しかし、この耐え難い嫌悪感としっかり向き合わない限り、僕が自分の自身のブログに対して感じ続けていた違和感の正体を掴んで解消することは出来ないように思います。

確かに、当時はブログをなんちゅうか「イケてるサイト」にしたくて、色々試行錯誤していたのは間違いありません。だから当時の自分を完全なる馬鹿だったとは全く思いません。「まああの時はそれでよかったのかもしれん」くらいに思っています。大体何事も失敗から学ぶしかありませんし。でもやっぱり今から考えると違和感があるのは否めません。結局それって自分がやりたかったことじゃないよねっていうのが、今ならよく分かります。

このパッションという要素については、個人的にはっきりした感覚を持っています。「パッションがある記事」というのは、自分で読み返してみてもすごく面白いと感じるんです。別に人から評価されなくても、「この記事は書いていて楽しかったな!」と思える記事は、自分自身のパッションを感じます。そういう記事だけを書いていたいんです。


先ほどの等身大という視点とパッションを同時に持つ記事こそが、僕が書いていて違和感がないものになっていくのだと思います。

世の中に公開するものだとしても、まず大前提として、そもそも書いている本人が完全なる手応えを感じていないと意味がないと思うのです。

個人のブログなので、別にどれだけ文章が下手だろうが別にいいと考えています。問題なのは、「その記事を書いていて楽しいか?」「本当にその記事が書きたいと思ったのか?」「自分の等身大の立場から書いているか?」ってところなんです。逆に言えば、これらの条件さえ満たしていれば、どんな記事でもいいんです。

ブログ収益の点で言うと、収益やPVを気にしたら、それってもう在宅ワークに片足を突っ込んでます。確かに、せめてサーバー代とドメイン代(年間合計約1万円)くらいは賄いたいのは確かですが、僕は個人の趣味ブログというサンクチュアリを仕事(つまり、本当はやりたくないもの)と混同することは、少なくとも今はできません。僕がもっと器用なら、純粋なパッションを(正式なものではないとはいえ)仕事と融合させる事はできたのかもしれませんが、現実には無理でした。好きなゲームや本について書いているはずなのに、あるがままのパッションを反映できず手応えすらも得られないなんて、完全なるナンセンスでしかありません。

まあこれとて現状の僕の認識でしかないわけで、今後何かしら新たな観点を得て、スタンスが変わっていくこともあるかもしれません。ただ、以前よりはずっと個人的な手応えを得ることが出来るようになりました。僕以外の人間には本当にどうでもいいことですけどね。


ここまでの内容は、何も1人で思いついたことではありません。ブログへの向き合い方についてのこのような観点は、他人のブログを純粋に楽しむことを通じて頭に浮かんできたのものです。

僕は自分のブログでゲームなどの記事を書くだけでなく、他の人のブログもブックマークしてまあまあ読みます。今だとnoteみたいなサイト内のコンテンツも増えてきましたが、それも同じようなものです。

他人のブログやnoteを読む時は、正直攻略情報として参照する機会はそれほど多くありません。どちらかというと、自分が興味のあるゲームという世界に対して、他人が何を考えているかを見るのが楽しいという感じです。

あるとき気づいたのですが、僕が面白いと思う他人のブログは1つの例外もなく、「等身大のパッション」で書かれています。このことに気づいた時は、僕自身ハッとするものがありました。

そういうブログや記事っていうのは、なんちゅうか要は、お金目的で書かれていません。少なくとも最優先では決してない。純粋にゲームを楽しむ気持ちから書かれています。広告の有無は関係ありません。サーバーとドメイン代がかかっている以上、どうしても広告は貼らざるを得ないからです(Wordpressでブログを立ち上げた事がある人ならこの気持ちはわかるはず)。

僕が好んで読むブログというのは、けっこう文章が上手い人が多いです。「この人頭いいんだろうな~」と、ちょっと嫉妬している節さえあります。でも、文章の上手い下手もあんまり関係ありません。その奥にあるパッションこそが重要です。

そういう、(たぶん大してお金にはなってないだろうけど)読んでいて面白いブログを楽しむ中で、「自分がやりたいのもこういうことじゃないか?」という気づきみたいなものが得られたというわけです。こうして言葉にすると特別なことでも何でもないのですが、まあ不器用な自分にはそれに気づくのにも時間がかかったということです。


ネット上に文章を自分の手で書いて人に読んで楽しんでもらうとか、その情報が他人の役に立つってものすごくハードルが高いことだと思います。

正直、そういう理想的なシチュエーションを絶対に叶えなきゃなんて考えてたら、個人ブログなんて僕はやってられません。僕は本や人のブログを読んだり、自分の頭の中にある純粋なパッションを文章として書き出すのが好きなんです。文章っていうものが好き。これは間違いない。だからブログも叶うなら続けたい。そのためには、まず他ならぬ僕自身が、自分の書いたものに対して確かな手応えを感じないといけない。というか、まず第一に、自分自身が自分のブログの読者になれずに、一体他の何が叶うっていうんだって思います。

最近も文章の質は相変わらずですが、肝心のパッションという点についてまあまあ納得できる形にはなりつつある感があります。要は、書きたい時に書きたいことをそのまま書けばいい・・・というだけの話。

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人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟読書メモ①)https://fragments-t.com/2026/04/karamazof_1.htmlTue, 14 Apr 2026 12:35:33 +0000https://fragments-t.com/?p=14408

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から個人的に読み取った内容について。 カラマーゾフは20代前半くらいに一度無理やり通しで読みはしたものの、当時はほとんど理解できなかった記憶があります。確かに表面上のストーリーはもち ... ]]>

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から個人的に読み取った内容について。

カラマーゾフは20代前半くらいに一度無理やり通しで読みはしたものの、当時はほとんど理解できなかった記憶があります。確かに表面上のストーリーはもちろん追えはしたのですが、「結局何が言いたい小説だったのか」についてほとんどと言っていいほど理解できませんでした。よく言及される「大審問官」のパートについても、結局それが何を意味しているのか分かりませんでした。

時は流れ10年後。30代前半の今、もう一度読んでみることにしました。この10年の読書のおかげか、以前よりは読みやすく感じ、内容についても「あの問題について言っているのかな?」と個人的に腑に落ちる部分を見つけることもできました(あくまで個人的にですけどね)。僕は別に読書家でも哲学者でもないですが、この10年の間の読書経験が多少は活かされたかもと思いました。

そういうわけで、この記事ではカラマーゾフの兄弟から個人的に読み取ったテーマについて、自分なりにまとめてみようかなと思います。

ただ、僕はこの本を隅から隅まで完璧に理解したとは全く思っていません。専門家でもない僕がそこまで深く理解するのは到底無理です。ドストエフスキーはこの本をまる2年かけて書いたそうです。違う時代に違う人生を送ってきた僕が2か月かけて読んで、その全貌を理解できる方がおかしいでしょう。

なのでこの記事では、他人からトンチンカンに思われる可能性を受け入れつつ、僕なりの解釈をあくまで自分なりに書いてみようという感じです。


カラマーゾフは全体を表面的に見ると、ある事件を中心とするサスペンス小説と言えます。しかしもちろんそれは表面的な話であって、そのプロットの中に色んなことが書かれています。

思うに、この小説を理解するためにはかなりメタ視点が必要だと思います。特に大審問官のパートはその典型ですが、人間が持つ普遍的な性質や、その構造をメタな視点から俯瞰した内容だからです。これを日常のミクロな視点から眺めても、本質は見えてこないと思います。

10年前の僕が全く理解できなかったのも無理はなく、当時の僕はこの小説を理解するために必要なメタ視点を持ってはいませんでした。人に明確に説明してもらえれば「まあそういう見方もできるかもしれない」とは思えたかもしれませんが、ただ1人で読んでいるだけではそこに至れませんでした。そもそも日常の中でそういうメタ視点を持つ機会がなかったので当然といえば当然です。

「この小説のテーマはこれ!」と1つに絞ることは僕には出来ませんでした。しかしよく言われるように大審問官のテーマはコアの一つと見ていいと思います。

大審問官のパートだけではありませんが、カラマーゾフでは「人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない」というテーマに重きが置かれていると思います。もちろんこれは僕なりの表現で、もっと別な言い方も出来るでしょう。

自分でも上手くまとめられる自信がないのですが、1つずつ順序立てて言葉にしてみようと思います。


超いきなりな話ですが、まず大前提として、この世界には本来、何の意味も、ストーリーも、1+1=2のように確かな価値体系もありません。僕は個人的にこれを「この世界のむき出しの不条理」と呼んでいます。この表現で伝わるか分かりませんが、まずはここからスタートしなければなりません。

神がいない状況を仮定します。すると、人々を導いてくれる「正解」がなくなる。するともう何でもアリになって、「全ては許される」なんてことも言えてしまうし、どんな苦しみにも意味はなくなります。

この世界には本来何の意味もない。しかし、人間は意味がないということに耐えられない生き物です。知能が発達してしまったがゆえに、動物のようにその場その場で単純に生きることは出来ません。物事に対して意味を求めないと居ても立ってもいられず、何かしらの価値体系の中でしか生きることが出来ません。

(ちょっと脇道にそれますが、人間は個人だけでなく集団としても、ストーリー(価値体系、意味)の中でしか上手く機能しません。そのことはジョージ・オーウェルの「1984」でもよく描かれていると思います。)

だからこそ、宗教、つまり神の存在は常に誰かにとって必要とされているのです。神が物事の善悪やこの世界でどうあるべきかの「正解」を決めてくれる。そういうストーリーは非合理的ではあるものの、この世界の不条理を直視せずにいるためにとても便利なツールとして機能します。しかしここで重要なのは、宗教はあくまでそういったツールの分かりやすい例に過ぎないということです。宗教を信じていない人々とて、こういった非合理的なストーリーを何かしらの形で利用しているように僕には見えます。


人間は意味なしには生きられない。このことをよく表しているのはゾシマ長老のもとに集まった民衆たちだと思います。

民衆のうちに、こどもを幼くして亡くしてしまい、悲しみに暮れている女性が表れます。彼女はゾシマ長老に「この悲しみをどうしたらいいですか?」と尋ねる。するとゾシマ長老は、「こどもは天使になって神のもとで幸せに暮らしている・・・、だからあなたはそんなふうに悲しんではいけないよ」みたいな話をします。まあ僕(を含むある程度合理的な現代日本人)から見れば、こんなのは単なる非合理的なストーリーでしかないわけです。

しかし、ゾシマ長老が非合理的なストーリーを語り、女性がそれを信じていくらかでも安心するというこの小話は、特にイワンが言いたいことを理解するのに役立つと思います。

仮にゾシマ長老が非合理的なストーリーを語らずに、合理性に基づいた正論をぶつけたら?

まず人間には魂などというものはなく、我々の意識はシナプスとニューロンからなるネットワーク内の微細な発火の集合でしかなく、生物として死んだあとは何も残りはしない、というのが合理的・科学的な物の見方となります。また、僕がいう「むき出しの不条理」という前提から見れば、この女性の子供が幼くして死んだことにも、何の意味もないわけです。神もいなければ天使もいない。何のストーリーもない。良いも悪いもない。

ここで既に言及した「人間は意味がないということに耐えられない」という話が出てきます。こんな合理的な正論をぶつけられたら、この女性はこの世界のむき出しの不条理にそのまま正面衝突することになります。すると決して安心など出来ず、不条理の無限の闇の中へと真っ逆さまへ落ちていくのみ。

民衆たちは、人間にはストーリー(神)が必要であるという「構造」を俯瞰することはありません。その構造の中で(言わば盲目的に)生きています。一方で、ゾシマ長老は人々に何が必要かを理解した上で、構造の外側に生きています。これも1984とそっくりだと僕は感じました。


このようにむき出しの不条理に直面できないというのは、何もこの女性だけではありません。全ての人間がそういう生き物と言っていいと思います。だからこそ、不条理を直視せずに済むようなストーリーで現実を包み込んで、非合理的な安心の中で眠る。それが人間の本質だと、僕は個人的に理解しました。

これがそのまま大審問官の話に繋がっていくんじゃないかなと思います。

ストーリー(既存の意味、価値体系)の外側には自由があります。人は自由に価値を感じて、ストーリーの殻を破り、その外側にある荒野へと歩き出そうとする。つまり、自分なりの価値基準で物事を考えようとする。「本当に不死は存在するのか?」とか。

しかしストーリーの外側にあるのは、僕が言うところのむき出しの不条理だけです。ただただ何の意味もない、この世界のあるがままの状態。だから、不条理だけが存在する無意味な場所を彷徨い歩くよりも、ストーリーの内側で管理されながら生きた方が楽ではないか?というのが大審問官というキャラクターの台詞が意味する内容の一部だと思います。

新潮文庫版巻末の解説を読んで気づいたのですが、この辺りは「管理される側」と「管理する側」の両方の視点で考えることができて面白いと思います。大審問官というキャラクターを見ていると1984のオブライエンを思い出しました。


まとめると・・・

1.この世界は本来、何の意味もストーリーも価値体系も存在しない、むき出しの不条理そのものである(神がいないと仮定するとそうなる)
2.しかし人間という生き物は、むき出しの不条理を直視できない(=意味がないということに耐えられない)
3.よってこの世界を直視せずに済むようなストーリーが人間には必要となる

という理解の仕方をすると、個人的にはしっくり来ました。

(1)はイワンの「不死がなければ善もない」という台詞そのままです(若干曲解かもしれませんが)。神というストーリーがなければ、そもそも何の価値体系もないわけで、善いも悪いもない。あらゆる価値基準自体、人間がストーリーを通じて勝手に作り出したものである。だからこそ何をしても許されるという見方も生まれる。

(2)は、こどもをなくした女性の悲しみ。しかし、不条理を直視できないのは人間全員に当てはまる普遍的な性質。もちろん僕もそう。

(3)は大審問官の主張。人間は不条理の荒野で生きていけるほど強く器用な生き物ではないんだから、自由を求めようなんてことはせずに、ストーリーの中で安眠していればいい。

仮にこの解釈がいくらか妥当だったとしても、20代前半の自分はこういう考え方はまだ出来ませんでした。この個人的な解釈は、ここ10年の自分が考えてきたことを出発点として、どうにかそれと繋がるように導き出したものという感じがします。だからそんなに自信があるわけではありません。


カラマーゾフには思わずハッとさせられるシーンや表現がいくつも出てきましたが、個人的に一番面白いと思ったのはやっぱりこの辺りです。僕が特にイワンに自分を重ねたということもあり、彼が出てきて自説を喋りまくるいくつかのシーンはとても楽しく読めました。

大審問官まわりのテーマというのは、2026年の日本に生きる人々にもそのまま適用できるように思います。なぜならこれは人間が持つ普遍的な性質だからです。

日本人のほとんどは積極的に「自分は〇〇教徒だ」という認識で生きてはいないと思いますが、今の時代なりのストーリー(価値体系)で生きているのは変わりません。ただしその構造の中で生きている限りそれは見えてこないと思います。

ちょっとカッコつけたような言い方ですが僕はカラマーゾフを読む前から、「人間って結局、それぞれが一番安心できる価値観を1+1=2のような事実だと都合よく思い込んでるだけで、実際には何が正しいとか正しくないなんていう基準は存在しない。勝手に思い込んでるだけの主観どうしをぶつけ合っても何の意味もない。」みたいなことを超漠然とですが日常の中で考えていました。既に何度も読んでいた1984の内容はそのヒントになっていたかもしれません。だからこそ、そういう漠然とした感覚がはっきりと文章にされているのを見て、面白く感じたのだと思います。カラマーゾフだけでなく、ドストエフスキーの著書ではこういう「それだ!」と思うような瞬間がよくあります。

 

1つの記事に本全体の感想を詰め込むわけにもいかないので今回はこの辺で。本当は全体を系統立ててまとめたいのですが、果たして出来るかどうか・・・。

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