ストーリー上のネタバレを含みます。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』から個人的に読み取った内容について。第3回目。
前回まで↓
【1】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟感想文①)
【2】非合理的ストーリーを信じられない合理主義者イワンへの共感(カラマーゾフの兄弟感想文②)
前回は、個人的に最も共感できた登場人物としてイワンを挙げました。共感とは少し違うかもしれませんが、もし2番目を挙げるならスメルジャコフはとても印象的な人物でした。一貫して狂人扱いされる彼ですが、読んでいて僕は嫌いではありませんでした。(動物をいじめることを除いて)
なので今回はスメルジャコフについて。
小説を最期まで読んだ時点では、スメルジャコフが自殺した理由がすぐにはピンとは来ませんでした。むしろ筋が通らないようにさえ思えたほどです。それから1人で考えてはみたものの、それでも腑に落ちない部分もあります。なのでかなり不完全なものになるとは思うのですが、彼の自殺の理由について個人的な考察を書いてみたいと思います。
結論から書くと、イワンとの最期の会話の中で、最期の心の拠り所を失ったことは自殺のトリガーとして大きな要因だったのではないかと思います。もちろんこれだけではないでしょうが、1つ挙げるならこれだと思います。
神を嘲笑う彼が信じられたのは、イワンが彼に囁いた「何をしても許される」に代表されるような価値体系だけだったのではないでしょうか。仲間だと思っていたイワンと決裂することでその唯一の価値体系を失う。最期の拠り所さえもなくなったことで、もう彼にはこの世界で精神的に依拠できるものがなくなった。
これもまた第一回目の記事で書いた内容とかなりリンクしているように見えます。「人間はストーリーがないと生きていけない」というのが本書の一貫したテーマになっている、というのが僕なりの解釈だったのですが、スメルジャコフの人物像や自殺という最期にもそのまま適用できると思います。信じていた価値体系が崩れ去り、その後に何も残らなかった。それがトリガーとなって自殺したという具合。
これについて順序立てて書いていきます。
スメルジャコフは生まれながらにして心の拠り所のない人物だったように思います。
まず、スメルジャコフは神を信じていません。それどころか彼は、信仰心を持つ人々を積極的に馬鹿にしてさえいます。「山を動かしてみてください」とか「太陽が作られる前に陽が差していたのはなぜですか」という台詞はとても面白く読みました。つまり、スメルジャコフは作中人物の中でも最も「意味のない世界」を生きていたように見えます。
それに比べると些細なことかもしれませんが、彼は社会の中でも「持たざる者」でした。狂人の腹から生まれ、フョードルの子どもとして正式に認めてももらえない。つまり本来いるはずの、自分を肯定してくれる親という存在がいない。同じような境遇の人々は当時の社会にそんなに珍しくもなかったと予想しますが、それにしても、生まれながらにしてとんでもない不条理と向き合い続けてきた人物でもあります。また、正式な子どもとして認められないことで、カラマーゾフの兄弟3人との扱いの格差も生まれただけでなく、その格差を目の前でまざまざと見せつけられてさえいましたよね。
スメルジャコフは作中ではほとんど常に狂人扱いされていますが、このような境遇で生まれ育って、捻くれない方がむしろ不思議だと個人的には思います。
フョードルを殺害したのはスメルジャコフ。別に「実はドミートリイが犯人だった!」なんていう話ではないと思います。
スメルジャコフが自殺した理由として、罪悪感はあまり関係ないように僕には思えました。そもそも彼は(おそらく実の)父親の殺害に対しても、ほとんど罪の意識はなく、平然とやってのけたのではないかと推測します。
というのも、彼の中にはもマジョリティ的な価値体系というものが存在しないからです。善悪というのは価値体系によって定義されるものであり、それを信じない人にとっては「何をしても許される」わけです。なのでマジョリティ的な価値観のもとで「父親を殺した罪悪感で自殺したのでは・・・」と考えるのは、ナンセンスのように思います。
ただ敢えて考えるなら、イワンという仲間を失い、イワンから与えられた理論が崩れ去った後に罪悪感がこみ上げてきた可能性はなくもないとは思います。それでも僕は正直懐疑的ですが。
ないない尽くしのスメルジャコフが唯一持っていたもの。それがイワンという仲間(一方的に思っていただけな感じもしますが)と、彼が披露する神の不在に基づいた理論なのでした。
スメルジャコフは神を全く信じない。神を信じる人々を嘲笑ってさえいる。では彼は何を信じればよいのか?その答えが、インテリの合理主義者イワンが語るストーリーなのでした。
スメルジャコフがフョードルの子供だとすれば、イワンはスメルジャコフの兄ということになります。このことはお互い分かっていたはず。そう考えると、スメルジャコフがイワンに寄せる信頼や尊敬の念は、単なる無神論者どうしの関係性を超えたものと言っていいと思います。
第2回目の記事では、イワンが神を信じられず価値体系の外側で生きる苦悩について個人的な考察を行いました。イワン自身、この世界を合理的に眺めた結果が「不死がなければ善もない」みたいな認識だったわけですが、それはイワンにとってはあくまで「理論」でした。だから自分が父親の死を仮に心の奥底で望んでいたとしても、それを実行することなんて決してあり得ないことでした。
一方、スメルジャコフはイワンの言葉を単なる理論ではなく、「実行するもの」として捉えていたとように見えます。スメルジャコフにとってはイワンの言葉は「実行」の許可証だった。ここに2人の認識の食い違いがあった。
だからこそスメルジャコフはイワンの許可があったものと信じ込んでフョードルを殺害する。しかしイワンは「そんなことは言っていない」と思いながらも、「結局殺したのは自分も同然では」と思い始め、悪魔が登場する。
というわけで、「スメルジャコフはなぜ自殺したのか」については、それまで信じていたイワンという仲間と彼の理論を失ったから、というのが僕の理解となります。
繰り返しになりますが、これは第一回目の記事で書いたことと全く同じ構図です。人は誰しもストーリー(価値体系)が必要となる。スメルジャコフにとっては、それは神ではなくイワンの理論だった。その理論を失ったことで、殺人を含むあらゆることを肯定する基盤が崩壊した。かといって、スメルジャコフは自分でストーリーを構築することも出来なかった。それが自殺という選択に繋がったのではないでしょうか。
これは読む人によって見方が分かれる部分だと思うので、正解は著者に聞いてみるしかありません。もしかしたら著者自身も正解を用意していないのかもしれませんが。1つ言えるのは、スメルジャコフの自殺理由は考察するのが面白いポイントの1つだと思います。
10年後くらいに読み返したら、また別の見方が出来るようになっているかもしれません。
それから蛇足なのですが、スメルジャコフという人物について「服や髪型に気を使う」シーンがありましたよね。その辺りを読んだとき、めちゃくちゃ衝撃を受けました。
というのも、まず、いつの時代も人々の中にはスメルジャコフタイプの人間を見つけることは出来ると思います。同時に、誰の心のなかにもスメルジャコフ的側面があると思います。正直僕はスメルジャコフ的な部分が多かれ少なかれあると自分で思いました。
スメルジャコフは依拠できる価値体系を自分では見つけられない人物です。そういうタイプの人間は、けっこう外見にこだわることが多い気がします。だからスメルジャコフという持たざる者が外見に気を使う描写を読んだとき雷に打たれたんです。「確かに人間ってそういうところがある!」と思いました。
思うに、ドストエフスキーは人間のこういう細かいところを抽出して解剖するのがすごく上手いと思います。
