オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」読書メモ

オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」を10年ぶりに再読しました。テーマ自体は覚えていましたが、詳しい内容はびっくりするくらい忘れていました。というか、当時はどういう問題を扱った小説なのか掴みきれておらず、それゆえに記憶にも残りづらかったのだと思います。

この10年の間に他の小説を読んだ後だと、重複するテーマに気づくことで「これはあの問題について言っているのか」みたいに理解できることがあります。そういう気づきもあって、前回の「華氏451度」のときと同様、10年ぶりに再読した今回は割と手応えがありました。


すばらしい新世界、1984などのディストピア(ユートピア)系の小説は、

・国家運営の視点:人間の社会はどうしたら上手く回っていくのか
・個人の視点:個人はどうしたら幸福な人生を送れるのか

という2つの視点から読むことが出来ると思います。特に後者の視点はカラマーゾフの兄弟の大審問官にかなり近いテーマだと思います。
(というか世界統制官とジョンの一対一の会話はまさに大審問官を下敷きにしているでしょう)


まずは前者、つまり国家(社会)を上手く運営していく視点について。

すばらしい新世界を読んでいくと、著者が社会の安定に必要な要素として何を考えているかが見えてきます。ここで全て列挙し尽くすことは出来ませんが、例えば下記は分かりやすい要素だと思います。

  • 階級制度(アルファ、ベータ、ガンマ、エプシロン)
  • ソーマ(一応副作用のないアルコール、ニコチン、カフェイン的なもの)
  • 成長過程における条件付け(価値観の植え付け、適材適所)
  • 優生学
  • 大量生産・大量消費

個人的には、正直認めたくない、考えたくないものもあるなと思いました。

例えば階級制度について言えるのは、要は皆が平等だと社会は上手く回らないということです。実際小説内でも、アルファ階級だけを22000人集めて島で国家を運営させたら崩壊して19000人が殺されたという事件が描かれていますよね。現代においては自由や平等に高い価値が置かれていて、それを社会で(少なくとも表面的には)実現していこうとしていたり、個人の方でも「自分は自由でありたい。不公平なシステムのもとで少なくとも損はしたくない」と思っているように見えます。

しかし著者的にはそれだといつまで経っても社会は安定しないと考えているようです。これは正直僕も同感なところがあります。というのも、個人の幸福と社会の安定は必ずしも一致するわけではないと思うからです。社会を安定させようとすると、個人の利益が犠牲になる。反対に、個人の幸福を追求すると今度は社会が安定しない。このミスマッチは避けて通れないものと考えています。現代でいえば、少子化はまさにこのジレンマによって必然的に起きた現象であると僕は考えています。

そこで社会と個人の両方の利益を科学の力で同時に追求しようとしたのが、素晴らしき世界で描かれているユートピア(あるいはディストピア)社会なのだと僕は理解しました。つまり、これが著者なりの「落としどころ」というわけです。

本来不平等以外の何物でもない階級制度も、条件付けによって人々の中で正当化出来ます。アルファはベータ以下のようにはなりたくないと思っていますが、反対にベータもベータ以外にはなりたくないと思っています。これは条件付けによってそういう思考回路が埋め込まれているからです。ここがけっこうぶっとんだ手法ではあるのですが、その反面、個人的に腑に落ちる部分でもありました。というのも、「人間は思い込んでしまいさえすれば、どんなことでもやってのける生き物」だと僕は常々思っているからです。小説内の条件付けのようなことが現実に可能かはさておき、もしも「人々に特定のことを確実に思い込ませる」ことが可能であれば、それは社会と個人両方の利益を同時に追求する鍵となるでしょう。

他にも、「人生で降りかかる理不尽に対して、現実を忘れさせてくれる何かがないと人間はやっていけない」からこそソーマのような強い気休めが必要という点も、とても説得力があると思いました。なぜなら、現代人もアルコール、ニコチン、カフェインなしでは生きられないからです。つまり「理屈抜きでスッキリさせてくれる何か」を人は常に求めるということです。あまり考えたくないことですが…。


上に挙げた2つの視点の中では、個人的にはどちらかというと僕は後者、つまり「個人の視点」の方に興味があります。個人にとってのユートピアはどのようにして実現されうるのか。

類似するいくつかの小説の内容を総合すると、結局のところ、人間は幻想の中で安心しているのが一番幸せであるというのが1つの見方であり、僕自身、とても説得力を感じています。

これは映画「マトリックス」のテーマと同じだと思います。モーフィアスはネオに「ここは仮想世界だ」と告げた後、2つの薬を提示します。1つは、いつもどおりの仮想世界という幻想の中で目を覚ます薬。もう1つは現実で目を覚まして機械との戦争を選ぶ薬。

カラマーゾフの兄弟の大審問官とも非常に近いテーマだと思います。パン(安心)と自由、どちらを取るか。

【関連】人間は安心のためのストーリーなしに生きていけない(カラマーゾフの兄弟読書メモ①)

 

すばらしい新世界で例えるなら、次のどっちを選ぶのがよいでしょうか。これは面白い問いだと思います。

1.科学的手法で条件付けされた幸福な人々

2.不完全な条件付けで苦しむバーナード、人間らしさを尊重するジョン

 

1984的には次のようになるでしょう。

1.二重思考をすんなり受け入れて管理社会に適合する人々、完全に構造の内側で生きるプロールたち

2.二重思考を受け入れられず真実を見続けようとするウィンストン

 

もし選べるなら、どちらの場合でも僕は前者を選びます。前述のマトリックスの薬の場合も、僕なら仮想世界で過ごす方を選びます。選べるならですけどね。

なぜ前者を選ぶのか。それは既に書いたとおり、やっぱり人間という生き物が真の幸福を実現できるとしたら、それは非合理的ストーリーの内側以外あり得ないと思うからです。これについては議論の余地が大いにあるでしょうが、僕はこのように考えます。これこそが、この不条理な世界における生存戦略の最適解だと思います。

すばらしい新世界を読むと、「確かにこの世界の人々は遺伝子レベルの規格化、条件付け、ソーマ、適材適所で幸福かもしれない。でもこれは偽物の幸福だ」と野蛮人ジョンのように否定したくなる気持ちは、多少はあります。そりゃ確かに、ソーマや二重思考なしに真実を直視し続け、個人としての幸福を得られればそれに越したことはないと僕も思います。(それで社会の安定も両立できるかはさておき)

しかし、現実問題として、この不条理な世界において常に真実だけを直視し続けて幸福を追求することなど可能でしょうか?いかなる幻想からも脱却し、真のメタ視点に立つことが出来ると仮定したとして、その視点を持ったまま幸福でいることなど可能でしょうか?

正直僕は無理だと思うんですよね。なぜならこの世界は本質的に不条理であり、人間という生き物はその不条理を直視できるほど器用に作られてはいないからです。

カラマーゾフの兄弟に登場する次男イワンも、信仰や理屈を超えた愛を本当に信じていられるアリョーシャを羨んでいましたが、それと同じ話です。


自分が実際に生きる社会と比べて、この「すばらしい新世界」という小説の世界をどう見るかは人によると思います。「こんな世界はイヤだ」とか「あながち悪くない」といった様々な感想が生まれうるという点で議論しがいのある本だと思います。

既に書いたとおり、僕はかなり肯定的な気持ちで読んでいました。僕はあくまで僕個人の利益を優先して考えているため、国家の安定という点は一旦置いておきます。ここで肝心なのは個人がの幸福をどう実現するかという問題です。その回答として、かなり不気味ではあるものの、本書の内容は鼻で笑い飛ばせないどころか、とても説得力がある内容だと思ったのです。

すばらしい新世界は、もちろん娯楽小説ではないので、読んでいて笑えるという意味の面白い小説では決してありません。それどころかむしろ、「本来考えたくないこと」について書いてあると言ってもいいかもしれません。想像するに、読んだらすごく気分が悪くなる人も少なくないでしょう。実際僕も本のテーマにとても興味はありつつも、「これを突き詰めて意味はあるんだろうか」と何度も自問しながら読んでいました。こうして読書メモを個人ブログに書いている今も、「これを考えたとて意味があるのか」と思ってます。というのも、これは現実には実現することもできない、どうしようもない、答えのない問題だからです。

とはいえ、そういう答えのない問題について考えられるのが小説という形式の面白いところだと思います。評論や論文だとそうはいかないですからね。


しかし、1つだけどうしても個人的に納得できないことがありました。それは、「そうまでして社会を存続させて何になるのか」ということです。これはこの小説が扱うテーマではおそらくありませんし、著者もそこまでテーマを広げてはいないんじゃないかなと思います。それに、社会の存続についての懐疑まで考えてしまうと、もはや人間の営みの何もかもが崩壊するでしょう。

つまり何が言いたいかというと、人間社会はどう転んでもディストピアだと僕は思うんです。この手の小説を読んだり、そのテーマについて考える時に感じる虚脱感や諦念の理由は、まさにその点にあると思います。


すばらしい新世界を読む前はカラマーゾフの兄弟、華氏451度という似たような小説を立て続けに読んでいました。1984はこれまで何度も読んでいるので頭には入っているつもりです。

この辺りを一通り読んでおくとテーマとして重なる部分が多く、内容を掴みやすいと思います。未読の方にはそれぞれおすすめします。

ところで、訳者による解説を読んで初めて知ったのですが、オーウェルはハクスリーにフランス語を教わったことがあるそうで、要は(短い間であるかもしれないにせよ)生徒と教師の関係だったらしいですね。僕は1984を初めて読んだとき、「こんなんどうやったら書けるんだ?」と本当に理解不能でした。しかしハクスリーとの関係や、すばらしい新世界の内容を考慮すると、オーウェルとて完全に0から1984を書き上げたわけではないと言っていいでしょう。それから、すばらしい新世界もカラマーゾフの兄弟の大審問官にインスパイアされている部分がかなり重要なシーンになっています。カラマーゾフと1984は兄弟関係のような内容だと以前から思っていたので、点と点が一本の線でつながった感じがしました。

これにより、オーウェルが1984を書けたことや、カラマーゾフの兄弟との強烈な類似についての個人的な謎が解けた気がしました。やっぱりセットで読むといいでしょうね。