偏差値50からの合格体験記【北大、慶応、明治に合格】

この記事では、僕の大学受験の合格体験談をご紹介しようと思います。

僕は偏差値ジャスト50くらいの高校に通っていたモブキャラのような学生であり、また両親ともに高卒で、大学進学の要領など家族の誰一人知りもしませんでした。

しかし、いくつかの幸運やコツコツ作業が実を結び、北大や慶応大学に現役合格することが出来たのです。

僕が受験をしたのが2010年頃ですから、既に大昔の話ではあるものの、大学受験は現代社会において普遍的なアツいトピックだと思います。

また、(誤解を恐れず言うと)受験に縁のない環境でこのような成果を上げたというのは、僕の受験体験のユニークな点です。

両親が大卒で、進学校の学生が同じ結果を出したとしたら、それはまあ普通にある話ではないでしょう。しかし僕の両親はどちらも高卒でしたので、そういうエリート環境ではありませんでした。

 

高校生だった頃の僕が受験勉強を始めたとき、

  • 「旧帝大に合格した人はどうやって勉強しているのか?」
  • 「慶応大学に合格した人はどうやって学生自体を過ごしていたのか?」

といったことが疑問で仕方ありませんでしたが、そういう話を個人的にしてくれる人は周りに一人もいませんでした。

そこでこの記事では、僕がその回答者側に立ってみたいと思います。

僕の合格体験談が皆さんのモチベーションアップに役立てば幸いです。

まずは結果から

まずは大学受験の結果から、全て書いておきます。

北大理系 前期日程

国公立前記日程では、北海道大学を受験して合格。僕が受験したのは、「総合理系物理重点」という入試区分です。

北大の合格通知書

慶応大学 理工学部 学問1

東京で一人暮らしをするのは無理だったのですが、どうしても力試しがしたくて慶応大学を記念受験しました。受かるか微妙な手応えではありましたが、結果は合格でした。

慶応大学の合格通知書

明治大学 理工学部 物理学科

私立大学として、MARCHの一角である明治大学も受験しました。センター利用ではなく、筆記試験による一般入試です。

明治大学は合格しただけでなく、「特別給費奨学生」に選んでもらえるという幸運に恵まれました。要は、「4年間ある程度成績をキープすれば学費いらないからウチ来ませんか」というやつです。

正直行く気はなかったのですが、予想外の出来事で嬉しかったです。

明治大学の合格通知書

明治大学の特別給費奨学生書類

東京理科大学 理工学部 物理学科

センター試験の結果だけで受験する、いわゆる「センター利用入試」で東京理科大学を受験しました。これも合格。

東京理科大の合格通知書

法政大学 理工学部 電気電子工学科

上に同じ。

法政大学の合格通知書

以上、僕の受験結果から先にご紹介しました。

ここからは、僕が高校に入学してから大学受験を終えるまでについて書きたいと思います。

偏差値50の高校に入学

田舎の中学生だった僕は進学意識も低く、頑張って少しでも偏差値の高い高校に行くべき、という考えがそもそもありませんでした。高校受験をしたことには違いないのですが、特別努力した記憶もありません。

結果、僕が入学したのは全国偏差値50ちょうどくらいの公立高校でした。

偏差値50にも関わらず、その高校はこのあたりの地域では比較的「いい高校」と言われていました。つまり僕が住んでいた地域はそれくらい学力レベルの低い田舎だったのです。

高校一年はモブキャラとして過ごす

それほど偏差値の高くない学校だったので、けっこうやんちゃな子が目立ちました。
(勉強して偏差値の高い高校に進学していれば、もっと穏やかな環境で高校生活を送れたのかもしれません)

一年生の頃はクラス割の運が悪く、特に周りが特に”やんちゃ系”の人間ばかりで、肩身が狭かったのをよく覚えています。

初年度から学業に力を入れる雰囲気自体が周りにもそれほどなく、僕もテストの前くらいしかこれといった勉強はしませんでした。

とは言っても、テストの前だけは自分なりにしっかりやっていたつもりです。必ず2,3週間前から予定を組んで準備していました。

一年生のうちは学年でどちらかというと上の方ではあるけれど、決して目立つ成績ではありませんでした。本当に毒にも薬にもならない、村人Aみたいなモブキャラです。

このときは受験のことは全くと言っていいほど意識していませんでした。

しかし今から思い返すと、2、3週間前から計画してテスト対策をするという小さな経験が、後々受験というレベルでも生かされたと思います。

二年生で学業の転機が

僕がいた高校では一年生から二年生に上がる際に文系と理系に分かれます。僕は理系に進みました。

理系のクラスに入り、いきなり転機が訪れます。二年生になって初めての定期テストで突然理系一位を取ることが出来たのです。

どうしてこのとき上手く行ったのかは分かりませんが、おそらく文理選択が終わって周りの気が抜けていたのもかもしれません。また、思い返すと僕の勉強方法が荒削りながら徐々に洗練されていった感もありました。

振り返るとこれもまた重要なポイントで、「最初は粗削りで要領の悪い方法でもいいから、改善を何度も繰り返してもっといい方法にしていく」というサイクルは受験勉強にとどまらず、何事にも適用できる成功原則だと思います。

このときの僕は偏差値50のモブキャラ学生でしたが、そういうサイクルは確かに回していました。

「勉強ができるやつ」というポジションを得る

もちろん僕が在籍にしていたのは偏差値50の高校ですから、ここで校内理系一位を取ったこと自体は全国偏差値的には全く大したことではありません。井の中の蛙です。

しかし、ここで一位を取れたという小さなことが僕にとっての学業における最大の転機になりました。人生であれほど脳のあり方が変わったような感覚を覚えたことはほとんどありません。

この変化を一言で表せば、僕はそれまでの人生で初めて集団の中で特別な人間になったのです。

「勉強ができるやつ」というポジションを獲得して、僕はその気持ちよさを知りました。それはこれまでの人生で一度も味わったことがない甘い感覚です。

その後も学校内のテストでは一位を取ることがほとんどで、そのうちに集団の中で学業でトップであることは僕の確固としたアイデンティティになりました。

アイデンティティの獲得は成功要素の1つだった

ここに僕の大学受験におけるユニークな強みがあります。

前述のとおり、進学校には僕よりも勉強ができる人がたくさんいたでしょう。しかし、集団の中で学業をアイデンティティにできていた人は果たしてどれほどいたでしょうか。

というのも、「勉強ができるやつ」というポジションを得るには、その集団で特別ハイスコアを叩き出さないといけません。

それは進学校だったらほとんど不可能でしょう。なぜならトップには東大理科3類に入ってしまうような化け物(あるいはそこまでいかなくても、かなりの神童)がいるはずだからです。

幸いにして僕の周りにはそんなモンスターはいませんでしたから、僕は狭い井戸の中のモンスターになれました。実際に僕はクラスメートの一人から「ジーニアス」と呼ばれていました。偏差値50の高校に入ったことが、意外な形で功を奏したのです。

初めてアイデンティティと呼べるものを得て、やる気の導火線に火がつきました。

2年生の前半はテスト前以外ではやはり特別勉強という勉強はしなかったのですが、勉強をやると決めた時の意識や集中力は格段に上がりました。

またこれに平行して、勉強をする方法が自分なりにスマートなものになっていくのを感じました。どうやったら効率よくインプット出来るか、段々と身についてきた感じです。

ちなみに高校生活を通じて僕は塾などには一切行かず、1人独学でコツコツ勉強していました。

受験対策模試で北大D判定

二年生の7月に志望校の判定が出るタイプの模試を初めて受けました。

おなじみベネッセの進研模試です。これまでも学校で模試を受けることはあったのですが、それは志望校を書いて判定が出るタイプではありませんでした。

点数以外にも具体的な大学の判定という形でフィードバックがあるのは、かなり面白いと感じました。

せっかく北海道に住んでいるので、ここでは北大の理学部を志望校の欄に書いてみることにしました。

初めての判定が出る模試

結果はD判定でした。

僕のときは模試の判定はA、B、C、D、Eの五段階だったので、D判定は下から二番目です。なので一般的に考えると決して喜べる結果ではありません。

 

しかし当時北大は僕にとって雲の上の存在でした。そのためか、その大学の判定がD、つまり最低ではないということは僕にとっては希望に思えたのです。

「もしかしたら、今から頑張ればこの大学に入れるかもしれない」

僕はそう思いました。根拠はありませんでしたが、脳がそう判断したとしか言えません。

この結果を見たとき、ものすごい追い風が自分に味方しているような気がしました。

それが楽観的過ぎようとなんだろと、これが二つ目の大きな転機になりました。

そしてそれからは自分がいる学校の順位というレベルではなく、受験というレベルで勉強についてハッキリと考えるようになりました。

同じクラスの同級生と偏差値を比べるのではなく、もっと偏差値の高い高校にいる、将来的なライバルを意識するようになった感じです。

2年生の秋から受験勉強開始

僕の学校では修学旅行が2年生の夏の終わり頃にありました。

大阪と京都で散々楽しんだ後、僕はそれを一つの区切りとして本格的に受験勉強を始めました。

志望校は言うまでもなく北大です。

とは言っても、右も左も全く分からない状態でした。

予備校に通うでもなく、進学校にいるわけでもなく、周りに頼れそうな人もいない。

自分が目指す目標にこれからどうやって到達したらいいのか、全く検討もつかなかったのです。

重要な原則:その時点でのベストを尽くす

とりあえずやる気だけはあったので、その時点で自分に出来るベストを尽くすことにしました。

この「その時点で自分に出来るベストを尽くす」ということは非常に大事なポイントだと後に気づくことになります。

受験勉強を始めた当初はどうすればいいかも分からなかったので、ものすごく泥臭くて効率の悪いこともしていました。

ですが、そういう地道な試行錯誤を繰り返して自分なりの受験勉強の方法を模索していきました。

上にも書きましたが、大事なことなので繰り返します。

量は質に転化します。

つまり、泥臭い勉強法でも数をこなしていくとその改善点が見えてきて、段々スマートな方法が分かってくるのです。

「こんな方法で大丈夫なのか?」
「もっと効率よく吸収できる方法はないのか?」
「上手くいかないかもしれないが、次はこんな方法を試してみてはどうか?」

ということを四六時中考えていました。

このサイクルを自分で生み出せたのが成功の大きな一因だったと思います。

自分の頭で考える

また、誰かから言われた方法を鵜呑みにするのではなく、あくまで自分で手を動かして時間をかけながら自分に合った方法を探すというのも必要なことでした。

自分の血肉になるのはやっぱり自分で試行錯誤して考え抜いたことだけだと思います。

そもそも僕が人に聞いたり教わったりするのがイヤな性格だったのもありますが、「まずは自分の頭で考える」も大事な原則だと思います。

2年生終盤の判定と勉強

まずは数英を固めるというのがこの時点で最もやるべきことだと思いました。

センター試験の教科であるだけでなく、北大の二次試験の教科でもあるからです。

それに加えて、全ての教科の中で国数英が最も付け焼刃でどうにもならなさそうな教科だと思いました。

学校で用意された教材ではなく、自分で問題集など選んで必要と思えるものをその都度買い揃えました。(受験あるあるだと思いますが、参考書や問題集を買うのがちょっと楽しくなっていました)

最初こそD判定だった北大も、次の模試ではC判定、そして次の模試ではB判定、というふうに結果は鰻上りでついてきました。

この頃はあくまで2年生までで習った範囲からしか出題されなかったのと、国数英3教科だけを用いた簡易的な判定でしたが、僕のモチベーションに油を注ぐには十分過ぎる結果でした。

2年生の終わり頃にはやる気は振り切れるほど高まっていて、平日は学校から帰って4時間、休日は6時間以上(長いときは10時間以上)は家で勉強していたと思います。

これも量は質に転化するというやつで、やればやるだけスマートな方法を身につけていきました。

僕は部活はやっていなかったので、放課後と休日の時間はたっぷり使えました。

正直、これだけの時間を確保できなかったら僕は絶対に合格できなかったと思います。もともと要領がいいわけではない僕にはとにかくたくさんの時間が必要でした。

例えば平日5日間、放課後は自習せず、その分を週末の2日で取り戻すなんてことは僕には絶対にできませんでした。

やることは、というよりやれることは、その日その日に全力を尽くすことだけだと思います。

北大入試実践模試・北大入試プレ・北大オープン

3年生になってからの模試ではA判定とB判定をウロウロしていました。

正直この頃になると心にちょっと余裕が生まれてきていたというのが正直なところです。

勉強時間だけみれば2年生の終わり頃が一番長かったと思いますが、3年生になってからも平日・休日ともに家でカリカリカリカリひたすら一人で勉強していました。

やや締まりのない時期が続く中で一つの区切りになったのは、各予備校が開催している北大受験生向けの模試でした。

予備校によって名称は変わるのですが、例えば駿台だと「北大入試実践模試」という名前の模試です。

これらは北大の二次試験を模した試験で、出題の仕方は本番そっくりになっています。これらの模試は基本的に学校では受けられなかったので、自分で申し込んで予備校まで受けに行きました。

北大模試は大成功

結果から言えば、大成功、いや超成功とでも呼べるものでした。

ざっくりいうと、

  • 駿台の北大入試実践模試では志望学科の第一希望者の中で5位以内
  • 代ゼミの北大入試プレでは10位以内

という目覚ましい結果でした。

唯一学校で受けた河合塾の北大オープンは思うようにいかず、ちょっと失敗してしまいました。
(それでもB判定ではあったのですが)

北大受験生用の模試でこれほどの結果を出せて、僕の心は多幸感で満たされました。

偏差値50の高校という狭い枠から抜け出し、北大の模試で一桁代に入れるなんて、まるで夢のようです。

遂に合格の手応えを掴んだと思いました。まるで山を登っている最中に下を振り返って、ずいぶん上まで来たものだなと思うような感覚でした。

勉強をするために学校を休む

この頃になると、学校で授業を受けるよりも独学していた方が圧倒的に効率的だということに気づいていました。(先生が悪いわけではないのですが、集団指導の限界を感じました)

効率面で劣る授業をわざわざ受けに行くのがもどかしく感じていたので、「勉強をしたいから学校に行きたくない」という信念のもと、体調不良を理由にたまに学校をサボりました。もちろんそんなに頻繁にではなく、月に一回とかだったのですが。

こういう離れ技はいわゆる常識から見るとおかしなことかもしれませんが、僕はその方が勉強できたのです。

わざわざ鎧のような制服を着て、狭い教室の中で軍隊のようにギュウギュウ詰めになって勉強する意味が僕にはよく分かりませんでした。

センター試験本番

北大模試の後も勉強はコツコツ継続。

時は流れ、ついにセンター試験本番の日を向かえました。

北大はセンター試験と二次試験の結果で合否が決まります。二次試験の方が比率は高いですが、北大に入るなら、センターでまずはしっかり8割取っておきたいところです。

僕の場合それまでのベストが出せれば、8割は行けるという感じでした。

 

センター試験の結果はというと、次のようになりました。後の成績開示で得た情報です。

国語 104/200
英語 175/200
リスニング 46/50
数学I・A 100/100
数学II・A 96/100
化学I 83/100
物理I 92/100
政治経済 83/100

 

自己採点で国語104点という数字を見た時は血の気が引きました。

国語は間違いなく最も苦手な教科でしたが、いつものセンター模試なら140点くらいは取れていたのです。

本番ということもあって焦り、いつもと違うペース配分をしてしまったような…。しかも悪いことに、その自己採点を一日目終了後にしてしまったのです。人生の終わりを予感しました。

 

しかし腐っても理系。

二日目の理数教科は、おおむねバッチリ点数を取れた感じです。

この年は国語はかなり難化、化学もやや難化、ということを除けばおおむね易化していたそうです。これは僕の感覚とも一致しました。

難化した化学(僕はそこまで得意ではない)で8割を取れたのは救いです。

数学は特に簡単で、凡ミスしかしませんでした。

僕は英語が一番得意だったので、9割をギリギリ超えなかったのは悔しいものがありました。一方リスニングは何故か過去最高の46/50をマーク。

 

全体で81.9%くらいの得点だったので、8割という目標は一応達成しています。
(僕はいつも合計点数ではなくパーセントで得点を見ていました。なので何百点と言われてもよく分かりません)

しかし北大の場合は傾斜配点といって、各教科の占める割合が独自に変更されて総合的な得点として扱われます。

具体的には、僕が受けた理系の受験区分の場合、国語・政治経済といった文系教科の点数がセンター試験では重視されました。

そのため、国語で104点を取ってしまった僕の傾斜配点適用後の得点割合は、79.9%程度まで落ちてしまいました。
本当にひどいシステムだと思います。

得意教科・不得意教科

ここで僕の教科毎の得手不得手について書いておきます。

僕は理系ながら英語が圧倒的に得意で興味もありました。勉強した時間もダントツで長かったと思います。

次いで物理が得意でした。基本的な法則(公式で表される関係など)を記憶しておけばパズルのように答えが出るのが個人的にはしっくりきました。

一方、国語は大の苦手教科です。これまでの模試でもだいたい足を引っ張りました。特に古文漢文など興味のカケラもありませんでした。

また不思議なことに、得意教科に関してはセンター試験よりも筆記試験の方がより高い偏差値になる傾向がありました。

そのため二次試験よりもセンター試験の方がよっぽど不安でした。つまり、センター試験をほぼ8割で通過できたからには、二次試験も上手くいくだろうとなんとなく予想できました。

私立大学受験

センター試験終了後は、まず当初の予定を変更せずに国公立の前期日程として北大に願書を出しました。それと同時に、センター利用で東京理科大学と法政大学にも出願。

それからは私立大学の一般受験です。

明治大学 工学部 物理学科

まずは明治大学の一般受験がありました。

この試験は東京の明治大学キャンパスまで実際に行かなくても、地元の予備校で受けられるようになっていたので助かりました。

記憶が曖昧なのですが、確か英語と数学と物理の試験を受けたような気がします。

物理は異常なまでに簡単で、ひょっとしたら満点だったのではないかと思います。

逆に英語は長文がかなり長くて驚きました。長さだけでいえば後に受ける慶応や北大以上の分量だったと思います。

慶応大学 理工学部 学問1

慶応大学の試験は明治大学の場合とは違い、実際に慶応大学のキャンパスまで足を運ばなければなりませんでした。

旅費はかかりましたが、人生経験としてその価値は十分にあると思いました。今もそう思っています。旅費を出してくれた両親に感謝。

会場は三田にあるキャンパスでした。田舎育ちの僕としては、東京は端から端まで摩天楼が広がっているのだろうと思っていたのですが、いざ行ってみると思っていたほど都会ではなかったのが印象に残っています。

試験は、なるほどこれが慶応かと思うような手応えのあるものでした

前年の数学の試験がかなり簡単だったのですが、この年はそれと比べると格段に難易度が上がっていて気圧されたのを覚えています。

東京では試験を受けるだけで、特に観光などもせず足早に地元に帰りました。

私立大学 合格発表

私大の合格発表は全て、北大の二次試験の前にありました。

最初に書いたとおり、受けた私立大学は全て合格でした。

明治大学で特別給費奨学生に選ばれたのは、思いもよらぬ幸運です。合格通知の書類が届くまでそのシステムの存在さえ知りませんでした。これに選ばれるということは、自分の試験の結果が相当良かったんだろうなと思ってとても嬉しかったです。

しかし何より嬉しかったのは慶応大学の合格を知ったときです。まさに天にも昇るような心地でした。母親と手を取り合ってぐるぐる回りながら喜んだのを覚えています。

まさか田舎の偏差値50の高校の生徒である自分が、慶応大学に受かる日が来るとは。僕自身だけでなく、周りの一体誰が予想できたでしょうか。正直な気持ちとしては、北大に合格したときよりもこのときの喜びの方が大きかったです。

いざ北大 二次試験

私立大学に全て合格していたとはいっても、それらは(誤解を恐れずに言うと)全て記念受験であり、僕が行きたいのはあくまで北大です。

前期も後期も北大に出願してどちらもダメなら浪人する気でした。

 

前日に一度下見をしてから、当日の試験に臨みました。

道案内してくれた先輩が、後期で滑り込んだ話をしてくれたのを覚えています。

僕が受けた二次試験の科目は、英語・数学・物理・化学の合計4教科です。配点は英語150点、数学150点、理科二教科150点で、計450点という内訳。

個人的なプランでは、英語・数学・理科二教科のそれぞれで100点ずつ、つまり計300点取ることが出来ればまず間違いなく合格するだろうと考えていました。

 

試験は農学部の一室で行われました。正門から割と近めでよかったです。

それまで明治・慶応と一般入試を二つ経験していたので、場慣れしている感じは確かにありました。そのため終始落ち着いていられたと思います。

試験の手応えとしては、英語・物理はかなり出来て、数学は普通だがやや悔しい、化学はあまり出来なかったという感じです。

 

北大の二次試験を終えたとき肩の力がすぅっと抜けました。よくここまで駆け抜けてこれたなと、心の底から思いました。

試験後の手応えとしては、それまでの模試の結果や順位を踏まえると、これで合格しなかったらおかしいくらいの感覚だったのを覚えています。

実は受験シーズンはずっとやりたいゲームを我慢していたので、帰りにヨドバシカメラ札幌店で買ってそそくさと帰りました。

合格発表

さらに時は流れ、合格発表の日になりました。

合否はネットでも確認出来るのですが、このときばかりはと思い現地に行って確認することに。

試験が終わったときにきっと合格しているだろうと思えていたので、もちろん自分の番号を確認するつもりでです。

父親と一緒に北大の掲示板のところまで行きました。

結果は合格でした。ガラケー(!)で自分の番号の写真を撮ったのを覚えています。

長い長い戦いが終わった瞬間でした。そういえばこの日は申し合わせたように快晴でした。

成績開示

北大の二次試験は「成績開示」といって、申請することで二次試験の点数を教えてもらうことが出来ます。

それによると二次試験の得点は450点中337点(74.8%)でした。二次試験でこれだけ取れたのはよくやったなと自分でも感心しました。

特に英語に関しては150点中129点も取れていて、ますます英語が好きになりました。

傾斜配点適用後のセンター試験の点数が79.9%で、二次試験で74.8%だったので、全体で75%は取れていたことになります。

成績開示では合格者中の順位も分かるのですが、その入試区分の中で僕は15位以内でした。

僕としてはもう文句なし。大大大成功です。

どうして合格できたのか?

以上、僕が高校に入学してから北大の合格発表を見届けるまでの3年間について書いてきました。

ここまで読んでくださった皆さんは、

「どうやったら自分も志望校に合格できるのか?」
「どうやって勉強したらいいのか?」
「運や才能についてどう考えればいいのか?」

といったことを考えているかもしれません。

そこで、今になって僕がそれらについて考えていることを書こうと思います。

続ける才能

受験勉強に限らず、物事が上手くいくかどうかに運や才能が絡んでいないことなんて1つもないと僕は考えています。考えて楽しい話ではありませんが。

とりわけ、知能が遺伝子レベルで決まっていることは、一卵性双生児と二卵性双生児を観察した実験から明らかになっています。

(日本だけなのか分かりませんが)世の中では、上手くいくかいかないかは本人の努力次第という風潮があります。

しかし僕はそうは思いません。

そもそも人はみんなバラバラです。

イケメンに生まれた人の方がモテやすいのと同じように、何らかの才能を持って生まれた人が受験で上手くいきやすいということは間違いなくあります。

だから僕には大学受験で上手くいくような才能が多少はあったんでしょう。

それに偏差値50の高校の中で「勉強ができるやつ」というポジションを獲得できたのは、非常にユニークな強みでした。

これは才能ではなく運です。その強みを得るためにその学校に入ったわけではありませんから。

 

「じゃあ運や才能がないと無理なのか」と単純に考えるのは少し待っていただきたい。

確かに僕は大学受験は上手くいきましたが、地頭はよくありません。

高校の同級生を思い返してみても、僕よりも地頭がいい人はいくらでもいました。

この記事を読んでくださっている方の中には、進学校に通っている方は多いでしょう。おそらく僕よりもあなたの方が地頭はいいと思います。

それに北大合格が終わった後、お世話になった先生の一人に「〇〇は地頭がいい方ではないが…」と言われたこともあります。
(事実なので別に嫌な気持ちはしませんでした)

何か新しい物事に出会ったとき、最初の段階で僕よりもスマートに解決したり対処出来る人はいくらでもいます。

しかし大学受験における僕の強みは、スタート地点は低くても時間をかけてコツコツコツコツ改善を繰り返したことでした。

僕より地頭がいい人はいても、僕は彼らの何倍もの時間をかけて勉強していた自負があります。

上にも書いたとおり、一番やる気があったときは平日は学校から帰ってから4時間、休日は6時間~10時間勉強していました。勉強時間の波はあるにせよ、これを1年以上続けていたわけです。

仮に地頭が良くても、こんなにも長い期間、長い勉強時間をし続けるのは簡単なことでしょうか?

 

つまり(北大や慶応くらいの難易度では)結局はウサギとカメみたいな話じゃないかと思います。

つまり大学受験においていちばん重要な才能があるとすればそれは、「一心不乱で続ける才能」です。

もちろんそれをサポートする運や才能もあるでしょうが、狂ったように没頭できることもまたそれらと同じくらい重要に思います。

結局は才能の話になってしまうのですが、僕は地頭という才能ではなく続ける才能や運の要素があったのだ、と今は考えています。

 

学生生活には、受験勉強の障害となるものがたくさんあります。

  • 恋愛
  • 色々な遊び
  • スマホいじり(当時僕はガラケーだった)
  • 放課後だらだら残ってするおしゃべり
  • 部活を通じて今を充実させたい気持ち
  • バイトしておこづかい稼ぎたい

 

振り返ると僕は本当にストイックに過ごしていました。

こういった要素を断ち切って、「勉強を続けること」「勉強に時間を割くこと」に費やしていたからです。

  • 恋愛→(図らずも)一切なし
  • 遊び→好きだったカラオケも一切我慢
  • やりたくてやりたくてたまらなかったゲーム→二次試験が終わるまで絶対に我慢
  • 学校が終わったら速攻で帰宅し、コツコツ自習
  • 部活→興味なし
  • バイト→しない

これは地頭とどれだけ関係があるでしょうか。僕はこれだけストイックに勉強に集中し、時間をかけてきました。(これが高校生活の適切な過ごし方はさておき)

もっと具体的な成功原則

そういうわけで、まずは時間を作り出して勉強に集中しないとどうにもなりません。

しかしそれだけだと抽象的なので、もっと具体的な話も書きたいと思います。

僕の大学受験から浮き彫りになった成功原則として、次の3つを挙げます。

  1. まずは自分で考え、手を動かすこと
  2. スタート地点は低くて泥臭くてもいいから、少しずつ改善していくこと
  3. 1日1日ベストを尽くすこと

自分の頭で考える

僕が人に教わりたくない人間だったら必然的にそうなったのですが、人に聞く前にまず自分でやれるだけやってみるのは重要だと思います。

学校にせよ予備校にせよ、授業に出て受動的に情報を浴びるだけでは足りません。それはあくまで補助輪であって、僕はあくまで自分で考え出したプランを受験勉強のメインにしていました。

教材や勉強のペース配分も全部自分で決めました。

「誰かが上手く教えてくれて、自分を合格まで導いてくれる」というのはちょっと危ない気がします。

最終的に自分の血肉となるのは、やはり自分の頭をフル回転させた末に見つけたものだけだからです。

改善する

第二の原則は、最初はどんなにレベルが低くても、何度も何度も改善を繰り返してアップデートしていくことです。

このサイクルは一般にPDCAなどと呼ばれることがありますが、難しく考える必要は全くありません。

1.とりあえず今できる最もスマートな方法で勉強してみる

2.おそらく何か違和感が出てくるので、どうやったらもっと効率よく勉強できるか考える

この繰り返しです。

例えば、僕は英単語を覚えるとき、最初(2年生の秋頃)はノートに何回も書き写して覚えようとしていました。

しかし実際にやってみてわかったのですがこれは上手くいきませんでした。覚えなければいけない単語全てでそれをやるのは時間的に無理だし、単語を離れ小島のように暗記しても、実践で読んだり使ったりできないからです。

改良を繰り返していった結果、「システム英単語のミニマルフレーズと呼ばれるフレーズを音読しまくる」という方法に落ち着きました。

英語の勉強法として音読は魔法のような常套手段ですし、これなら手書きよりも何倍も速く単語に触れられます。加えてフレーズで覚えられるので実践にも向きます。

その日のベストを尽くす

大学受験は長距離走です。

例えば僕であれば高校2年生の秋頃から本格的に受験勉強を始めたので、大体500日くらい走り続けていたことになります。

その長い期間の中でどうしても、「今日はちょっと手を抜くか…」と思う日が出てくるのは避けられません。

実際僕も毎日同じペースで勉強していたわけではないのですが、その日その日でベストを尽くすことを心がけていました。

ある1日手を抜いたら、その分はもう取り戻せません。平日は遊んだり勉強と関係ない活動をして、土日だけ受験勉強を頑張るというのは、少なくとも僕の感覚では上手くいきそうにありません。

そして、どんな神童も凡才も1日24時間なのは変わりません。そうとくれば今日という日を有効に使うしかないというわけです。

言葉にするとあまりにも当たり前すぎるのですが、当たり前の中にこそ重要なことが隠れていると思います。

おわりに

以上、僕の合格体験記を12000文字以上に渡って書いてきました。

ここまで読んでくださった方には本当に感謝したいと思います。

両親が高卒でも、偏差値50の高校でも、旧帝大や慶応に合格することは出来なくはありません。

この記事が(おそらく受験生であろう)皆さんのモチベーションアップにつながり、志望校に合格できることを願っています。