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受験勉強のために学校を休むのはアリ。【実体験からお話しします】

 

「受験勉強をしたいから学校を休みたい」
「でも、これがいいことなのか自信が持てない」

今回はこういった問題についてお話しします。

 

結論から言いますと、「勉強のために学校を休むのはアリ」です。

 

僕自身も、受験勉強がしたいから学校を休むという方法を何度かとりました。

僕は偏差値50の公立高校から、北海道大学や慶応大学、明治大学に現役で合格しています。

つまりこのテーマについては僕自身が当事者であり、なおかつ一定の結果を出しているため、信憑性のある内容をお伝えできると思います。

偏差値50からの合格体験記【北大、慶応、明治に合格】

 

僕が学校を休んだ理由

僕が学校を休んだ理由は、次のとおりです。

  1. 志望校が北大や慶応なのに対し、高校の偏差値は50
  2. 学校より家の方が圧倒的に集中できる
  3. 周りとの意識に差があった

 

僕は学校の授業よりも家での独学の方が何倍も効率よく受験勉強ができました。

一般に高校では2割程度なら休んでも単位が出ます。

僕はギリギリまで休んだわけではないのですが、ときどき仮病を使って学校を休みました。

今から思うと、もっと休んでもよかったなと思います。しかし、その頃の僕はまだそこまで柔軟に物を考えることは出来ませんでした。

 

ここからは、僕が学校を休んだ理由について詳しく書いていきます。

 

理由1.志望校と高校のレベルが離れていた

僕がいた高校の偏差値は50程度でした。一方、僕の志望校は北大・慶応です。

学校のレベルに合わせていたら、北大や慶応大には合格できなかったと思います。

僕は授業とは別に独学で大学受験の勉強をしており、実になっていたのは明らかに独学の方でした。

そのため、大学受験突破という目的のためには授業は効率の悪い手段でしかなかったのです。

 

集団授業(学校授業)の限界を感じた

そもそも集団形式の授業というのは、生徒の学力の最大公約数のような内容になってしまいます。

授業はレベルで別れてはいたのですが、偏差値50の高校で最大公約数を取った授業ですから、北大や慶応向けとは言えません。

 

またレベルうんぬん以前に、クラスの誰もが呆れかえるほど質の低い授業もありました。これで給料がもらえるのか…というレベルです。

入った大学で人生が決まるわけではないですが、それは大きな岐路ではあります。

それなのに、時間という貴重なリソースを質の低い授業に使うなんて馬鹿げているとは思いませんか。

 

講習も受けなかった

一般に、高校では授業の他に放課後の講習もあると思います。

僕の高校でも講習は任意参加の形で行われていました。

僕は当然これもパス。最初は受けていたのですが、やはり独学の効率には及ばないと思い、ある時から申し込まなくなりました。

 

「大学受験するなら講習に出るのは当たり前」というのが周りの常識でしたから、教師やクラスメイトからは奇異な目で見られることもありました。

それでも僕は模試で結果を出していましたし、自分にとって独学が最も効率が良いのだという確固たる自信がありました。

そのため、頑として講習に参加はせず、独学を貫き通すことができたのです。

 

朝講習も非効率

少し蛇足になりますが、かなり重要なことを書きます。

僕の高校では放課後講習とは別に、「朝講習」なるものもありました。

これは言わば「0時限目」に相当するもので、かなり早起きしてわざわざ早朝から授業を受けるというものです。

今から思い返すと、これは非効率な学習でした。なぜなら、睡眠を取ることは記憶の定着においてめちゃくちゃ重要だからです。

 

ビジネス書を読むと、「まずはとにかく8時間睡眠しなさい」的なことがしょっちゅう書いてあります。

大学受験から何年も経ったあとで僕はこういったことを本を通じて学び、確かにそうだ思いました。

眠たいのを我慢して勉強しても、無駄とは言わないとしても効率が悪いです。

それだったら8時間きっちり寝て、残りの16時間でシャキっと勉強した方が絶対に効率的です。

 

例えば、コンビニのアルバイトは働いた時間が長いほど給料が多くなりますよね。眠たかろうがなんだろうが3時間働いたら3時間分の給料がもらえます。

でも、勉強や知的生産はそうとは限らないのです。

受験勉強は知的な作業です。根性論ではなく、論理的に考えてやるべきだと思います。

朝講習なんて受けないで、まずはしっかり寝る。それが何より大事です。
(朝型の行動パターン自体は良いことなのですが…)

 

そういったことは結局あとから気づいたことなのですが、僕は朝講習も途中から撤退しました。眠かったので。

 

理由2.学校より家の方が集中できた

僕の場合、学校よりも家の方が圧倒的に集中できました

理由は次のとおり。

  1. 広々としている
  2. 制服を着なくてもいい

 

どんな環境で一番集中できるかは、人によって違います。

「勉強は学校でするもの」というのは、完全に偏った思い込みです。

僕にとって勉強は学校で「やらされるもの」ではなく、目標に向かって自発的に「やるもの」でした。

わざわざ学校に行かなければ勉強できないとしたら、それはかなり根本的な部分に問題があると思います。

 

僕は快適な状況でないと勉強に最大限集中できません。

程度の差こそあれ、同じような感覚の人はいるのではないでしょうか。

快適な場所のほうが勉強できる、だから学校には行かないで家でする。ただこれだけのことです。

 

広々としている

学校の教室や机はとても窮屈で不快だと僕は感じていました。

なぜあんなに狭い空間に寄り集まってまで授業を受けなければならないのでしょうか。

トイレに行くにも机の間を縫って進まねばならず、非常にストレスがたまります。

 

自宅なら自分だけの空間で黙々と勉強できます。

トイレにもいつでも気軽にいけます。

そんな当たり前のことが、学校では出来ない。

 

制服を着なくてもいい

僕の学校の制服は学ランでした。これがまた窮屈で仕方なく感じていました。

なぜあんな鎧のようなものを身にまとってまで勉強しなくちゃいけないのでしょう。

家ならばゆるくて快適な服装で勉強できます。

人によっては服装なんて気にならないのかもしれませんが、僕にとってはかなり大きな問題でした。

 

***

ちょっと蛇足ですが、あんな空間に集まって画一的な格好で画一的な授業を受けるのって、おかしいと僕は思います。

これは20代後半になって気づいたことなのですが、学校の役割は基本的にサラリーマン量産工場です。

極端な言い方ですが、経済を回す企業にとってサラリーマンは交換可能な歯車である必要があります。交換可能なパーツは画一的に作られている必要があります。誰かが悪気があってそうなっているのではないのですが、現状として学校にはそういう側面があります。

僕が高校生の時はそんなこと全く考えてもいませんでしたが、学校で授業を受けることへの違和感はそういった考えに通じるものがあるかもしれません。

***

 

周りとの意識の差があった

偏差値50の高校ということもあってか、自分と周りとの間には意識の差がありました。

 

受験シーズン真っ只中になっても雰囲気に締まりというものがなく、休み時間に携帯ゲームで遊んでいる人もいる始末。

それは僕の良き友人でもあるのですが、それでもそういう姿を見るのは正直苦痛でした。

僕は受験が終わるまでやりたいゲームを我慢していたので、なおさらいい気持ちはしません。

しかし、彼らに教室でゲームをするなとは思いませんでした。

なぜなら、学校とは結局そういう環境でしかないと思っていたからです。そして、勉強はやはり家でコツコツやるに限るという思いが強まっていきました。

 

ちなみに、受験期にゲームをしていたクラスメイトは皆、残念ながら志望校には合格できませんでした。

 

まとめ

以上、「受験勉強のために学校を休むのはアリ」というテーマについて、僕の実体験に基づいてお話しました。

 

「学校より独学を優先してはいけない」という声もあると思います。

ですが、僕に言わせればそれはただの固定観念に過ぎません。そんなのはケースバイケースです。

受験は最終的に自己責任であり、合格するのもしないのも結局は自分です。誰かの言うことを聞いたからといって、その人は何の責任もとってくれません。

自分が正しいと思った方法を、自分の責任で実行すること。これを僕はおすすめします。